冬の終わりと、夢の続き

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千歌-アイキャッチ45
『プロローグ』


 内浦の冬は、とても寒い。

 痛い程に乾いていて、冷たい空気。そこにぴゅうぴゅう音を立てて吹く海風。
 太陽も夏に比べるとお休みモードで、あんまり日の光は暖かくないから、寒さを凌ぐ為に色々な工夫が必要なの。
 カーディガンやコートを着たり……たまにスカートの下にジャージを穿いてみたり、手袋をつけたり。後は、ブランケットを羽織ったり膝にかけたり、カイロを使ったりすることもあるよね。

 それでも。どれだけ防寒したとしても毎年毎年、凄く寒いから──冬はいつも風邪をひいちゃうんだ。
 だから、毎年冬が来るのはちょっぴり嫌なの。


──でも、どうしてだろう。今はこの冬が終わって欲しくないって思ってる。

pixiv: 冬の終わりと、夢の続き by アルフォート

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……ねぇ。冬が終わったら、春が来ちゃうんだよね。

 春が来たら──ううん。それじゃ駄目。来る前に。

 私の、この気持ちが……春が来て、全部解けて無くなっちゃう前に伝えたい。伝えなくちゃいけない。


……ああ、もっと早く気付いてれば良かったよ。

 大事なことはいつも、自分の近くにある。


──例えばそう、ポケットの中に。


『不釣り合いコート』



 チカの朝はいつも早い。

──っていうのは、Aqoursの朝練がほぼ毎日あるからで。大体五時四十分のアラームで起きて、ぱぱっと準備をして、七時には家を出てるおかげ。

 夏休みくらいまでは、梨子ちゃんやしまねぇに起こしてもらわないといつまでも寝続けていたけど……今はもう一人で起きられるのだ!

 ただ、このことをダイヤちゃんに自慢したら、『そんなの当たり前よ!? 』なんて言われたりしたんだけど……それでも、放っておいたらずっと寝続けてられる、って友達皆に言われてたチカが、自分で決めた時間ぴったりに起きて、二度寝せずにそのまま学校にいくなんて──我ながらかなり成長してると思う♪

 それでも、布団から出たくないなぁ、っていう日が無いわけじゃなくて……まぁ、今日がそうなんだけど──どう考えても、昨日と比べて三倍、ううん、五倍は寒い。

 あ〜、これ絶対やばいよ。もうこのまま布団の温もりを感じていたいけど……どうせいつかは出なくちゃなんないし……一気に出ちゃえば大丈──

「は──はくしゅんっ!! うぅ、さむっ……」

 布団から出た途端、あまりの空気の冷たさにくしゃみが出ちゃった。冬服に移行するまで、まだ結構あるのになぁ……今年はなんだか、冬が来るのが早そうな予感。はぁ、嫌だ~……。朝六時で、まだ日も登ってないとしても、こんなの寒すぎるよっ!!

 ここまで冷えてると、もしかすると二月三月辺りに雪が見られるかも──なんて、内浦じゃほんとのほんとに寒くないと降らないんだけど。
 実際、雪が降ったのはチカが覚えてる限りで一度きり。小学……何年生だったっけ? まぁいっか。

 とにかく……雪が降ってもおかしくないんじゃないかって思うくらい、今日は寒い! ほんとにまだ十月なの!?
 確かに、昨日の天気予報では十二月並の気温になるって言ってたけど……(Aqoursのリーダーとして、毎日天候のチェックは怠らないのだ! )

 でも、それを理由に風邪なんてひいて、Aqoursの活動に支障をきたす様じゃ駄目だからね。とりあえずカーディガン、カーディガン、っと……

「…………ない」

 いつもタンスでチカのことを待っていてくれるみかん色の──皆からは黄色って言われてる──カーディガンが、無い……?


◇ ◇ ◇ ◇


「しまねぇ〜、私のカーディガンどっかやった? 」

「カーディガン──ああ、そうそう、あれね、昨日見た時裾の所に穴開いてたから、縫ってたんだけれど……」

「えっ、ウソっ!? 破けちゃったの!? 」

 そんなっ、チカのお気に入りのカーディガンちゃんが──そういえば……昨日果南ちゃんに追いかけられた時、(勝手に部室のシーブリーズ使ってるのがバレた……)カーディガンを思いっきり引っ張られて……もしかして、その時に?

「果南ちゃん……許すまじ、だね」

「果南ちゃん? 」

「う、ううん、何でも」

「そう? それでね、結局糸が足りなくなっちゃって、縫いきれなかったの……ごめんね? 」

「いやいや、私こそ、毎回毎回ごめんね……大事に使わなきゃとは思ってるんだけど、どうしてもダメにしちゃうっていうか……あはは……」

「いいのよ、学生のうちはそれくらい元気で♪ 私はそうでもなかったけれど、美渡ちゃんは今の千歌ちゃんと同じくらい服とか靴とか、ダメにしてたもの、くすっ♪ 懐かしいな……♪ 」

「あ、はは……そ、そうなんだ……」


……昔見てた限り、しまねぇも結構やんちゃしてた様な気がする──でも、高校生の頃の話をしようとすると、なんか雰囲気が変わるから……これ以上はやめとこう。もしかすると黒歴史? ってやつなのかな?

 それにしても、いくら『いいよ』って言って、嫌な顔せず直してくれるとはいえ、頼りすぎるのも良くないよね……せめて自分の服くらいは自分で直せる様にならなきゃとは思ってるけど……(昔から裁縫はしまねぇと曜ちゃんの得意分野なのだ! )


 ん? カーディガンがダメっていうことは……果南ちゃんもダイビングを躊躇う様な、ルビィちゃんとお気に入りのアイスを買わずに、あったかい肉まんを買う様な──寒〜〜いこの日にセーラー服だけで過ごすことになっちゃうの!? 今からコートを出そうにも、まだ冬服の準備をしてないから、引っ張り出すまでに時間かかりそうだし……。

「流石に他に何か着てかないと寒いよね〜……」

「そうねぇ……まさかこんなに早く冷え込む日が来るなんて思ってなかったから──そうだ♪ ちょっと待ってて! 」

「え? あっ、もしかして……」

 嬉しそうな顔? というより、何か悪い事を思いついた時みたいな、いたずらっぽい笑顔を浮かべながら、どたどたとみとねぇの部屋に向かって──向かって。

「あぁ……やっぱりそうか〜……」

 しばらくして部屋から出てきたしまねぇは、チカの予想通りの『もの』を持って、キラキラした笑顔でこっちを見てきた。はぁ……冬が来るのとと同じくらい嫌だよ、あれ着るのは……


◇ ◇ ◇ ◇


「……くすっ、何それ? 千歌ちゃん」

「ほら笑うじゃん! もー……だから嫌なんだよ〜、このコート……」

 そう。今チカが着ているこれは、多分傍から見たら相当面白い──面白いんでしょ! どうせっ!!

 しまねぇが持ってきたのは、みとねぇが着てるコートのうちの一着だった──みとねぇは何だかんだしっかりしてるから、冬が来るよりも早く、自分で衣替えの準備をしてます。そのままチカの服も出してくれれば良いのに〜、って言ったらその日のおやつを取られちゃった……ほんといじわる!!

──それで、このコートは……簡単に言うと、でかい。むちゃくちゃ、でかい。

 元々お父さんが着てたのが、しまねぇに下りてきたんだけど、サイズが大き過ぎるから、誰も着られなくて──ホコリ被ってたそれをみとねぇが高校生の時くらいに着始めた。
『こういうちょっと大きいくらいのがね、かえってオシャレなの♪ 』なんて言って、今でもたまに着てるんだけど……残念ながらチカは背が足りないせいで全く着こなせない……。

……中学校の頃は『大人っぽくてカッコイイ!! 』なんて思って着てたけど、皆にやれぶかぶかだの、やれコートに着られてるみたいだの、色々言われるから絶対着てくもんかって思ってたのに……

「ごめんごめん。でも、千歌ちゃんが意地張って大人用のコートを選んでる姿を想像したら面白くって……」

「待って!? 着たくて着てる訳じゃないから、これっ! カーディガンは穴開いちゃって、自分のコートもすぐ出せなくて、仕方なくこれ着てきたんだよ、はぁ……」

 理由を説明してる最中もくすくす笑ってる梨子ちゃん……もう、今すぐ脱げるものなら脱いでやりたい──けど、脱いだら寒いし。というか、寒いから着てきたんだし。しょうがないから着続けることにして、バスを待つ。

「急に寒くなったからね、今日。私もまだ防寒着とか出してなかったから、焦って厚めのインナーとカーディガン用意したんだ」

「そっか……ふつーは焦ってても、そういうのがぱっと出てくるものなのかなぁ……」

「千歌ちゃんはもう少し自分で整理整頓した方が良いと思うよ、特に物置とか」

「うっ……仕方ない、今日帰ったら冬服引っ張り出すついでにやるか……」

 見えてる場所は綺麗にしようって心掛けてるんだけど、どうしても見えないところは──まぁいっかってなっちゃう辺り、ダメだなぁって思う……ただ、流石にこのコートはもう着たくないから、今日こそはしっかり整理しとかないとね。

「それにしても、はぁ……本当に急に寒くなったね。ここって毎年こんな感じなの? もしかして、海が近いのとかも関係あるのかな……」

「うーん……東京と比べたら、ここの方が寒いかもしれないけど、十月でこんなに冷え込むのはなかなか無い──っていうか、記憶にないかな……」

「そうなんだ。でも、千歌ちゃんはそれがあるからあったかそうよね♪ 」

「け、結構引きずるね!? あったかいっちゃあったかいけど、心は冷たいよ! 冷え冷えだよっ!! 」

 珍しく梨子ちゃんがノリノリでつっこんでくる。はぁ……今日一日、これ着て誰かに会う度に何かしらからかわれると思うと気が重いよ……。

 確かに、梨子ちゃんがああ思ったのも無理は無いかもしれないけどさ……。
 中学生が背伸びして、自分の身の丈に合わないおっきなサイズの服を選んで──要するに『大人ぶって』。でも、全然大人には見えない……それどころか、一層子供っぽくなっちゃうのは、見てる側からしたら面白──ダメダメ、自分がやってることが凄い恥ずかしい気がしてきたからもうやめよう。

──まぁ、やめたところで、からかいラッシュは止まらないんだけどね〜……


◇ ◇ ◇ ◇


 バスに乗って真っ先にまず、『あっ、久しぶりに美渡お姉ちゃんのコート借りてきたんだね〜』とニヤニヤしながら呟く曜ちゃん。とりあえず、頭にチョップを食らわせてやった(勿論軽い力でね? )

『これは──まさか魔術師のローブ……!? 千歌……もしかして貴方、ヨハネと同じ黒魔術の使い手なの……!? 』といつも通りの善子ちゃん。まぁ、言われてみれば魔術師っぽい気がしなくもないけど……。

『何だろ……そういう服、ある意味千歌ちゃんには凄く似合ってるかも! 』とルビィちゃん。
…………ちょっと後でその『ある意味』について教えてもらおうか?

『くすっ♪ 貴方らしくて悪くないと思うわ、それ♪ 』とダイヤちゃん。チカらしいって……良い言い方をすればそうかもしれないけどさぁ……。

『これは──オラが来たら絶対地面に裾着いてしまうずら……』と花丸ちゃん。
流石にそこまででは無いんじゃないかな? というか、言う程チカと身長変わらないでしょ、そもそも!

──っていう具合で、まずバスの中で五人。


 続いて、学校に着いてクラスに入ったところで、『あっ! 久々のぶかぶかコートだ!! 相変わらずの“コートに着られてる感”だね〜……』なんて、(中学校の頃からの常套句……)よしみ達クラスメイトにも言われて数十人。

 で、結局その日の練習終わりの帰り道に、『出たねー、そのコート。ほんと、お姉さんのお下がりって大変そうだねー♪ 』『Oh♪ アメリカとかイタリアでは、そういうラフな着崩し方は全然アリなのよ? まぁ──ここはジャパンだし、ちかっちがそれ着てると──ぷっ♪ ごめん、何だか面白くって……』と果南ちゃんと鞠莉ちゃんに、最後に言われたところで──

 コンプリート! 今日会った人全員にからかわれちゃいました〜♪ なんて……はぁ、そんなに面白かったかな。冬服を部屋の物置の奥の方から引っ張り出しながら、自分の今日の姿を思い浮かべて──やっぱり面白いな。うん。
 ぶっかぶかで、ボタンをちゃんと留めてても、何かの拍子に肩からずり落ちそうなコート着てる人が居たら面白い──っていうか見ちゃうもん。多分。ガン見するよ。うん。

……

…………もうっ! 絶対着ないんだから!!

 大体、ルビィちゃんは何なの!? 『千歌ちゃんの良いところ──そういう無邪気? なところが際立ってて良いと思ったんだ♪ 』ってさ……どう考えてもバカにしてるよね!? 今度着させてやろうかな、絶対面白いし! お姉ちゃんを少しは見習って欲しいよ、全く──


『貴方らしくて良いと思うわ♪ 』

待てよ……これって──もしかすると、からかってなくない?

……うーん。

…………うーーん。

 うん。やっぱりからかってはないよ。一人だけだ。ダイヤちゃんだけが、面白がったりせずに、『良い』って言ってくれた──んだよね?
 その時はあんまり意識してなかったけど……そっか。良いって言ってくれてたんだ。

……なんか、全然大したことじゃないのに、嬉しいな。えへへ♪
 コートも悪くはないのかも? なんて一瞬思ったけど、ほとんどの人の反応は微妙だし、自分のコートも今出したし、別にわざわざあっちを着る必要もないか……。

 にしても、何が良かったのかな? 正直全く見当がつかないんだけど……ああ言ってくれた理由は何なんだろうって、考え出した途端にどんどん気になり始めた。うーん、うーーん…………

 よしっ、聞いてみよう! 一人だけ分かってくれた人──認めてくれた大事な人、かもしれないし♪ そうと決まれば、早速いつなら時間が空いてるか連絡し──

「ちょっとちかぁー!? 私のコート、勝手に持ってった挙句に、ボタンまで取れてて、一体何様のつもりなの!? 」

「…………ごめんなさい〜っ!! 」


 こういうことがほんとに良くあるから、やっぱり裁縫の練習始めた方がいいのかもしれないね……。

 ダイヤちゃんに電話掛けたら、色々調べてみようかな。とりあえず♪


◇ ◇ ◇ ◇


 この後、裁縫を一から教えて欲しいってしまねぇに言ってなかったら……もっともっと、今日は寒かったのかもしれない。私とダイヤちゃんとの間の冷たい空気が、何にも言わずにただゆらゆらと漂って、見えない壁を作っていたのかもしれない。
 あと一歩で隣に行けるのに、それを阻む薄くて──硬い、ちょっとやそっとじゃ砕けない壁を。

 だとしたら──だからこそ、どうしてあの時、昔諦めたことにもう一回熱心に取り組もうと思えたのかな。
 自分で自分の服を直せる様になんていうのは、もしかすると建前だったのかも──ううん、そんなの分かんないか。今となっては。だって、昔のことより、ともかくこの一瞬一秒が大事だから。


──どんなに遅くたって、私は。



『不釣り合いコート』 完。


『未熟ブランケット』



「……くしゅん」

 情けない音のくしゃみが一つ、一人では少々広すぎる生徒会室に虚しく響く。

 昨日から列島を大寒波が襲っている──って、千歌さんが得意気に言っていたかしら。全く──ニュースを見ていれば誰でも分かる様なこと、鼻高々に言うまでも無いのに。

 去年の今頃はもう少し、暖かかったはず。秋の陽気というか、麗らかな気候というか。そういうものが今年は無くて……今も、昼休み──丁度太陽が輝き、熱を放つであろう時間なのに、全くもってその恩恵を感じない。

 十月の昼下がりとはまず思えないこの状態。まるで、秋を飛ばして一気に冬になってたみたい──そんな呆けた感想を抱いてしまうくらいには、季節は急に移り変わったし、頭の回転が鈍る程、空気は冷たく寒い……最も、それが原因で頭が回らないなんてことは無いんだろうけれど。

 やっぱり……膝にかけているブランケットだけでは、心もとないわね。下にもう一枚着るか、それでも駄目ならストーブを出すか……そうでもしないと、この季節──例年以上に厳しい冬は乗り切れなさそう──

 この季節を乗り切った先は。その先は一体『何処』に通じているのでしょうか。

 冬が終わり、学校を卒業すれば当然、黒澤家の跡取りとしての日々が一層苛烈なものと化して、わたくしに押し寄せてくる。それに対して抵抗は無いし、甘んじて受け入れるべき運命だと考えて……いた。


 そう、考えていたの──

「くしゅんっ……はぁ……」

 駄目。わたくしは──道を逸れてはならないのだから。一瞬心に吹き込んだ風が、背筋を震わせ、またくしゃみが飛び出す。心の葛藤とは裏腹に、いつだってその音は間抜けな音で──鞠莉さんや果南さんは、『可愛いくしゃみだ』なんて言うけれど、わたくしは自分のくしゃみが好きじゃない。恥ずかしいもの……

 恥ずかしい、ことね。本当に。人に色々言っておきながら、一人になるとこうしてすぐにぶれそうになるんだから。すぐに寒さに弱音を吐きそうになるんだから。

 揺れない。わたくしは、この季節が終わっても『何処』へも行かない。ただ今歩いてる道の続きを進むだけ──なのに、その続きを思うと、ほんの少し不安で。

 別の『何処』かを思うと、ほんの少し、胸が高鳴って。

 けれど、やはり『何処』へも行けない現実を思うと、冷たい。寒い。
 ブランケットを羽織る。真っ赤なそれが、まるでわたくしを急かしている、駆り立てているみたいで──お気に入りのそれに少しだけ苛立ちを感じてしまう。

 どうしようもない思考の連鎖は、寒さのせいか。自分自身の弱さのせいか。それとも──


 コンコン、聞き慣れた音が果ての見えない沈潜を止めた──千歌さん?

 今日は特に、仕事の手伝いなどは頼んではいなかったはず。ならどうして…………そうでした、昨日電話で聞きたいことがあるとか何とか言っていた様な──


◇ ◇ ◇ ◇


「──珍しいわね、貴方の方からわたくしに用事だなんて」

『そうかなぁ……? あ、確かに、どっちかっていうと、ダイヤちゃんがチカを呼び出してお説教することの方が多い? 』

「というか、ほとんどよ……昨日だって果南さんと走り回っていたり……少しは落ち着きを持ちなさい」

『う〜、電話でまでお説教聞きたくないよ〜……』

「言われたくなかったら、少しは自分を省みるべきよ。貴方だって“ただの”馬鹿では無いでしょう? 」

『ほんと!? 馬鹿じゃないって──ダイヤちゃん、これ褒めて──』

「無い」

『……だよね〜』

「はぁ……とりあえず、明日の昼休みなら暇だから。生徒会室に来て頂戴」

『それなんだけど……その、やっぱりいいかなって』

「……ちょ、ちょっと、貴方が言い出したんでしょう!? どうしてそうなるのよ、貴方らしくない」

『いや、でも……』

「いいから、明日、待ってるから。こうしてわざわざアポを取るってことは、それだけ大事な用件なのでしょう? 」

『……そこまで言うなら、うん。じゃあまた明日……』


◇ ◇ ◇ ◇


 いつもの如く、無駄に楽しそうに話していたと思ったら、きっかけも無しに突然落ち込んだり──これもまぁ、いつも通りといえばいつも通りだけれど。よく分からないのは相変わらずで、ここに来た理由さえ見当もつかない。
 訝しむわたくしに対して、申し訳無さそうな困り顔。ドアの窓の向こうで今か今かと返事を望んでいる様な気がして、こちらが忍びなくなってくる……とにかく、話を聞きましょうか。

「どうぞー、千歌さん」

「失礼します……」

「……なんでそんなに沈んでるのよ」

「はぁ…………」

 明らかに不機嫌ですよと、暗に言っているかの如く大きなため息と共に部屋に入ってきました。こっちが悪いことしたみたいじゃない。これじゃあ。

「いや……どうせチカの勘違いだったんだろうし……」

「勘違い? って何の──というか、用件は何? 先にそれを伝えてもらわないと、貴方のその……モヤモヤがこっちにまで伝染しそうだわ。」

 呆然と立ち尽くすその姿を見ているだけで、こちらまでブルーな気分にさせられるから、ひとまず座らせて……またため息。何がそんなに憂鬱なの? 本当に。

「……言ったら、ちゃんと答えてくれる? 」

「まぁ、答えられる範囲のことであれば何でも」

「……は? とか言わない? 」

「それは内容にもよるかしら。くだらなかったり、突拍子もない様な、馬鹿げたことだったら言うかもしれないわね」

「えぇ……だったらやっぱしやめとこうかな……」

 ああもう焦れったい……いつもは体が先に動く質のはずなのに、ここまで躊躇することって……何なの? 寧ろ気になってくるけれど……

「わ、分かった、分かったよ。ちゃんと言うから怖い顔しないで……? あっ、後笑ったりもしちゃ駄目だよっ! 」

「……そんなに怖い顔だったの? 今」

 内心が顔に出ていたのかしら。不本意とはいえ怖いと思わせてしまうのは──申し訳無いし、嫌ですね。

「……完全に怒ってる時の顔だったよ」

「はぁ……全然怒っていないし、笑ったり、『は?』 なんて言わないから……早く言ってしまいなさい? 」

「…………『らしくて良い』って何? 」

「えっ? 」

「だから、昨日私に言ってた『貴方らしくて良いと思う』ってどういうことだったのかな、って……思って……」

「昨日──ああ、千歌さんがぶかぶかのコートを着てきた話のこと? 」

 それがどうしたのかしら。単に思ったことを言っただけに過ぎないのに、気に留める様なことは──

……それにしても、どうして『千歌さんらしい』って思ったのでしょう。あの時は──何となく、直感的にそう思った。身の丈に合わない、大きすぎるコートを身にまとって、不機嫌そうにしている姿が──深く考えるまでには至らず、『らしくて、良い』なと思ったのは、確かに事実。

 今、千歌さんのあの姿を思い浮かべても──やはり良いな、と感じるということは、あの直感は確かなもので。それなのにどうしてそんな直感が胸の内に湧いてきたのかが分からない。

 奇妙な感覚──何でしょう、これは。どうしてでしょう、これは。

 ただ、そんな不可解な感覚の波の中に居ても、分かることはあります。一つだけはっきりしているのは──目の前の彼女に、何か“いつもと違う”感情を抱いていことは事実という──

「ぶかぶか…………やっぱりそうだよね……そりゃそうだ……うん、ありがとう。じゃあ、私はこれで」

「──いや待ちなさい? 」

 何なの。何故急に去ろうとするの。話はまだ終わってないし──そもそも始まってすらなかったじゃない!

「ダイヤちゃんもからかってたんでしょ、どうせ……」

「からかう? 何の話? 」

「いや、だって、ぶかぶかコートって言ってるし……そうだ、“チカらしい”っていうのも、どうせ“子供っぽいチカが大人ぶってるのが面白い”とかそういうことなんだ。ふんっ。どうせチカは子供ですよ〜。どうせ……」

「へぇ、自覚はあったのね。自分が子供っぽいって」

「き、期待して損したよっ! もう帰るっ! 」

「──でも、『良い』と思ったのは本当よ」

「…………へ? 」

 自分でもはっきりとした理由はまだ分からないけれど。本当に、本当。

「少なくとも、わたくしはからかってなんかいないし──第一、周りの皆さんもそこまで馬鹿にしている訳ではないのでは? 」

「いや、何人かには悪意を感じなくもなかったけど……ダイヤちゃんは違う──ねぇっ、“良い”と思ったって、具体的に何が? 」

……こっちが聞きたいわよ。出来ることなら。

 ただまぁ、せっかく機嫌を直しつつあるのに、それを損ねてしまう程わたくしは意地悪ではないので──

「そうね……何だか、十二単を羽織るお城のお姫様みたいな感じで……なかなか可愛らしいかった、ってところかしら」

 とりあえず適当に理由を繕って……

「…………ふ、ふふ……へへ……」

「……え、千歌さん……? 」

 どうして笑い出すの。このタイミングで。そんなに面白くないでしょう? というか、お姫様みたいって、からかってる風に捉えられかねない気が……

「お城のお姫様……なるほど、へへへ……確かにぶかぶかなのって着物みたいだよねっ、『みやび』だよね♪ お姫様かぁ……えへへ♪ 」

──ああもう……本当に読めない子。わたくしったら翻弄されてばかりじゃない。

 全く……何がそんなに嬉しいのかしら。まだにやにやしてて……はぁ、適当に言ったことを真に受けるなんて。馬鹿というか純粋無垢というか。

……でも。千歌さんのこういうところが──

「──ダイヤちゃん、何にやついてるの? 」

「……は? 」

「あっ、もしかして着物姿のチカを想像してたとか? やだなぁ、ダイヤちゃんのえっち♪ 」

「な、な、何言ってるの!? そんな訳無いでしょうが! べ、別に貴方の着物姿なんて、何とも──」

 可愛い、のかもしれない。
 着物姿──だけでなく、千歌さんが。

 かもしれない──違う。そんな曖昧なものではない。
 あの時感じた直感は、もっとはっきりとしたもので──『千歌さんらしさ』はつまり……

「何とも、ないんだから」

「……うーん、結構似合うと思うのになぁ……でも、あのコートも悪くないのかな……」

 けれど少し照れ臭くて──それに、褒めるとすぐ調子に乗るから、千歌さんは……こういうことは言わぬが花です。どうせまた、『どこが可愛いの!? 』やら『何で可愛いの!? 』やら、質問攻めになることは目に見えていますからね……。

「それで──話はこれだけなの? 」

「え? これだけなのって、勿論これだけだけど」

「…………はぁ……は? 」

「あ! 『は?』って言った! 言わないって約束だったのに!! 」

「なっ、あ、貴方の用件は終わったのでしょう!? だったらもう約束は無効よ、無効! 」

 それにしても、これだけ。自分が言われたことの真偽を確かめる為だけに。
 普段は特段何も考えてなさそうなのに──ドタドタと走り回り、騒ぎ回る様な子が……不思議だわ……。

「……何、これだけ話すのにわざわざ電話で事前にアポを取って、時間を確保したっていうの? 」

「だって、前言ってたじゃん。『わたくしは貴方達有象無象とは違って毎日多忙なのだから、どうしてもっていう用事があるのなら前もって連絡することね。突然来られても受け付けないから』って」

「えっ」

 そんなこと言った覚え…………ありますね。
 わたくしが千歌さんとの勝負に敗れて、Aqoursに入ることになった夏の日の、その前──

「ちょっと、前に言ってたって……相当前の話じゃない、それ!? 」

「うーん……でも『友人であれ、家族であれ、守るべき礼儀はきちんと守りなさい』とも言ってた様な……」

「言って──たわ。確かに言っていたけれど……」

 無論忙しい時は忙しいし、連絡があればありがたい時もあるとはいっても……この場合はそうではないというか──

「……別に、これくらいの話だったらいつでも……」

「へ? 」

「だから、雑談くらいならいちいち前日に確認を取らなくったっていいってこと。大事な相談事とかの場合は別よ? でも……わたくし達は──気心の知れた仲間で、友人なんだから」

 いがみ合ってた時とは違う。夏、秋という二つの季節を──ともすると何年か分の濃度と密度を持っていそうな時間を過ごしてきたんだから……そんな気遣い、無用です。

「…………いや〜、恥ずかしいな、なんか……」

「恥ずかしい? 何が──」

「その……改まって友達とか仲間とか言われると、くすぐったいっていうか……照れるよね……てか、良く考えたらこれくらいのことで電話なんてしなくても良かったじゃん……」

「な……何をっ! 貴方が言わせて、貴方がしたんでしょう!? こんな当たり前のこと、言わなくても分かっていると思っていたのに……」

 ましてあの千歌さん。人のテリトリーだの常識だの、人間関係につきまとうしがらみを簡単に乗り越えて、近寄ってくる様な人が……

「当たり前は当たり前だけど、ダイヤちゃんなかなかこういうこと言わないからさ。急に言われたらそりゃ私だって照れるよ〜」

「……そういう──ものなの? 」

「そうっ、そういうものなのだ! 」

「……ふふっ、何で貴方が誇らしげになるの? 」

 ほんと、よく分からないんだから──

「ダイヤちゃんをデレさせることに成功したからね♪ 」

……よく分からない。デレ? 出れさせる? 出させるみたいな意味だとしたら、本音を出させることに成功したってことかしら……?

「わ、わたくしはいつも本音よ。自分を誤魔化したりなんてしないわ」

「え、えぇ……ほんとかな……誤魔化さないどころかいっつも──」

「何ですって……? 」

「ま、まだ何も言ってないじゃんか!? もう、ほんとに……素直じゃないっていうか……はぁ、果南ちゃんと鞠莉ちゃんの苦労が分かるよ……」

「苦労って……あの二人には寧ろこっちが手を焼いていたのよ? 」

 今の千歌さんと同等かそれ以上に、まるで予測がつかない二人に幾度となく振り回されては──お稽古を抜け出したことを一緒になって叱られたり……傍迷惑な話よね、本当に。

「あれ、でも昔、『お稽古嫌だ〜……』なんて泣きながら果南ちゃんのとこに行ったとか」

「…………果南、後で粛清が必要ね」

「ま、待ってっ、私が聞きたくて聞いただけだからっ! ほら、昔のダイヤちゃんのこと沢山知ってるのって、幼馴染みのあの二人とルビィちゃんくらいしか居ないし……」

「はい? 昔のわたくしの詮索など、何の為になるの? 」

「何の為って、敵を知らないと戦えないでしょ? 戦の常識? 」

「あぁ……なるほど、わたくしをAqoursに勧誘していた時に色々と嗅ぎ回っていたわね。そういえば……」

「うそっ!? 気付いてたの……? 」

「気付くも何も、風の噂で伝わってくるもの。この辺りで起きることなんて大抵ね」

 最も、千歌さんの内心までは噂ごときでは一切伝わっては来ないけれど。
 だからどうして執拗にわたくしを追い回すのかなんて、ちっとも分からなかったし、今だって、何故昨日ふと放った一言の理由をここまで追求したがっているのかも、当然分からなかった。こうして直接話すまでは分からないことだらけです。
 まぁ、こちらの考えや持っている常識が一切アテにならない千歌さんのことなんて、話していてもなかなか理解し難いけれど……

「そうかな……私ほとんどダイヤちゃんの噂なんて聞かなかった──あっ、でも中学校の頃、怒らせるとオニの様に怖いだとか、家では日本刀を振り回してるとか、そういう噂はチカも聞いたことあったよ♪ 」

「……随分と大きな尾ひれがついていたみたいね」

 いや日本刀って。中学校の頃といえば、習い事で剣道もしていたけれども。
 黒澤家の厳粛なイメージが先行して、あること無いこと、わたくしに関する噂が広まっているのは、その頃から何となく気付いてはいたとはいえ……広める側も鵜呑みにする側も、もう少し考えて欲しい所だわ……真っ昼間に刃物を振り回すなんて、フィクションじゃあるまいし……。

「尾ひれ? も、もしかして魚を捌いたりするのも日本刀──」

「な訳ないでしょ!? そうじゃなくって、噂に尾ひれが──つまり憶測が含まれてたりっていう……はぁ……」

「うっ、ご、ごめん……ちょっと調子乗っちゃった、かも……」

 しょぼんとした様に申し訳なさそうな顔になる千歌さん。生徒会室に来た時と同じ感じで……またこっちが悪いことをしてしまったみたいじゃない、もう。思わずその顔から目を逸らしてしまう。
 三姉妹の末っ子の千歌さんと、長女のわたくし。向こうは姉との付き合い方を、わたくしは妹の扱い方を良く知っているから──千歌さんに対しても上手に出られるかと思っていたけれど、実際接する度に実感する。思い知らされる。

「……もう、そんな顔しないの。良くも悪くも、調子に乗って──明るくいられるっていうのは貴方の長所なんだから」

……どうしても甘くなってしまうのは、きっとわたくし自身の甘さのせいでもあるんでしょうが。

「でも、調子に乗るのって長所って言えるのかな。あんまし良くないことな気がするけど……」

「時と場合によるでしょ? 乗っていい時悪い時があって──そもそもそういう風に自分の気持ちに素直になれない人だって、結構居るんだから、長所の一つだと思うわ」

「ふーん。善子ちゃんとかそうだよね。『可愛い』って言っても『今のトレンドはクール系堕天使なのよ……! 』なんて返してきたり」

「それは色々と違う……というか、寧ろあの子はAqoursの中では結構素直な方では? 」

 クセがあって、一見すると天の邪鬼だねれど、蓋を開けてみれば表裏の無い性格の持ち主……そういうことなら、善子さんに限らずAqours全員が皆──どころか、この辺りに住んでいる人達は、素直な性格の持ち主が多くを占めているのかもしれない。
 いえ、どちらかといえば、隠し事が通じない──それとも、そもそもする必要が無いのでしょうか?

「うーん、それもそうだね。顔はずっとにかにかしてたし、可愛いって言われて♪ 素直に嬉しいって言えばもっと可愛いって言ってあげたのになぁ……」

「貴方は素直すぎるの。少し隠すことも覚えた方がいいわ」

「えぇっ!? さっきは褒めてくれたのに……」

「悪い方の『調子に乗る』よ、今のは。」

「あはは、ごめんなさい……」

「はぁ……全くもう、将来詐欺師か何かに騙されないか心配だわ」

 ま、こういう風に悪いと思ったらすぐ謝れるのは良いことよね。少なくとも……なかなか真似出来ることではないのは確か──

「ん? なにこれ、沼津市の──」

「千歌さ──ばっ、馬鹿っ、何勝手に見てるの!? 」

 少し千歌さんから目を離した隙に、机の上に出していたプリントに手をつけ始めている……あんまりにも節操が無さすぎるわ。しかも、そのプリントは──

「ね、ダイヤちゃんって、卒業したら家業を継ぐん──」

「……別に、生徒会室のプリントを整理してたら出てきただけよ」

「プリントの整理……なんで? 」

「ほら、今年は急に冷え込んでるでしょう? 今後もこんな感じでずっと寒いみたいだから、前倒しでセーラー服から冬服に移行するって──」

「えーっ、もう冬服にしなきゃなの……? 」

 もう少し着たかったな〜、とぶつくさ呟く──気持ちは分かります。わたくしも……この黒セーラー服は好きだから。しかし、卒業してしまえばもう着ることは無いのだけれど。

「ええ。これだけ寒ければ妥当な判断よ。ただ、こういう前例を聞いたことが無かったから、少し調べてみようと思って」

「うわ、真面目だね……そんなのわざわざ調べようとも思わないよ〜」

……素直故に、ちゃんと話を聞いてくれる。言ったことをそのまま受け止める。疑ったりしない。
 そんな彼女の優しさを──踏みにじっている気がして、少しだけ辛い……とはいえ、誰に相談するでも無い話、言わなくたって別に構わないわよね。

「それでその、前例ってあったの? この時期でこんなに寒いって、チカが生まれてからは無かった気がするけど……」

「えぇと……確か」

「あっ、『冬服移行期間変更のお知らせ』だって──ん? これいつのだろ……」

「な、ま、また勝手に……はぁ、わたくしも、流石に分からないわ。曜日が書いてあったらまだしも、『10月16日』としかそこには書いていないし……それなりに昔だってことくらいしか、このプリントからは読めないわね……」

「ダイヤちゃん……刑事さんみたいだね♪ 将来はそういうのも──無いのか、ダイヤちゃんは」

「……そうね、無い」

「そっか……」

「ちょっと、どうして貴方がまた暗くなるの? わたくしは別に……」

 何とも思っていないわ。何でもないその一言が、何故か喉のところで止まってしまった。
 それを境にして、弾んでいた会話もほんの一瞬止まる。わたくしは──何を言っていいか分からなくて、沈黙することしか出来なかったけれど、そんな様子を見かねてか──それとも単に沈黙が苦手なのか、千歌さんはすぐに口を開いた。

「また、来てもいいよね? こうして何でもない話をしたりって、今までしてなかったけどさ……その、卒業しちゃったらゆっくり話す機会も減るだろうし……」

 手元にある古びて茶色に変色しかかってるプリントをくるくると丸めては伸ばしながら、小さく呟く姿は──不機嫌そうな姿とも、嬉しそうな姿とも、不安そうな姿ともつかず、何を思っているのか見当がつかない。
 ただ、せっかく彼女がそう言ってくれているのに何も答えない程、わたくしは薄情では無いから──

「ええ、勿論。ただし、前ほどでは無いにしろ、忙しいことに変わりはないから、大事な話や用事があるなら今日みたいにアポを取ってくれると嬉しいわ」

「ほんと!? じゃあ毎日来ようかな……」

「なっ、ま、毎日!? いや、そ、そもそもわたくし、毎日ここに篭っている訳では無いわよ? 」

 というか、毎日こんな──あっちこっちに振り回される様な会話を繰り広げるだなんて、想像したくもないわ!

「じょ、じょーだんだよじょーだん。もう、姉妹揃ってすぐに本気にするんだから……」

「もう、からかうのも大概に──姉妹揃って? 」

「あっ、そうそう♪ 今日ルビィちゃんがね──」

「……千歌さん? 」

 笑顔のままフリーズして、それがスロー再生の様に、少しずつ引きつったものになっていく。

「……『CYaRon! 』のミーティング、一時からだった」

「はい? 」

 壁の時計を見ると、一時十分。昼休みも終わりに近い時刻──

「わああああっ! 怒られるっ!! 絶対忘れないからって言ってたのに〜!! 」

「な、何なの、もう! とりあえず、まだ昼休みは終わっていないし、顔だけでも出しに行きなさい!! 」

「そうする! じゃ、また放課後ね! 」

 ここに来て椅子に座った時の怠そうな動きとは正反対の機敏な動きをして、飛ぶ様に生徒会室から出ていった。

……ところで、ルビィが何なの? 姉妹揃ってって……気になる。放課後の練習の時にでも聞いておかないと──って、これじゃ千歌さんと話すのを楽しみにしてることに……わたくしはただ、良からぬことを考えていないか、問いたださねばならないだけで──

「……くしゅん」

 寒い。今の今まで全然気にならなかった空気の冷たさが、一人になるのを待っていたぞと言わんばかりに襲いかかってくる。
 いつの間にか自分で椅子に掛けていたブランケットを、今一度羽織る。けれど、赤くて眩しい──眩しいだけのその布は、この寒さからわたくしを守ってはくれない。

「……これからもっと寒くなったら……ブランケットだけでは、とても」

──未熟なわたくしは、一切の迷い無く、この寒さを──冬を乗り越えられるのでしょうか。

 動きの鈍った頭を打ちつける様に響く昼休み終了のチャイム。これを後何回聞けば冬は終わるのでしょうか。

 冬が終われば……わたくしは──

「……はくしゅん」

 どこへ向かうのかしら、一体。


◇ ◇ ◇ ◇


 今より遥かに、色々な意味で未熟だったわたくしは、自分の夢にも──感情にも気付いていなかったのでしょう。

……いいえ、違うわね。気付いていて、気付かないふりをしていただけ。だからこそ、見て見ぬ振りのしっぺ返しが、『悪夢』になって降り掛かった訳だし──こんなにも、遅くなってしまった。

 千歌さん、貴方は──気付いていたのかしら。それとも、ずっとずっと……上手く伝えられずに抱えていたのかしら。

 もう少し、早ければ。どうしても思ってしまうけれど。今はただ、この暖かさを感じていたい……そんな叶うことのない願いを心の中で唱えてしまうくらい未熟で、弱いわたくしは。

──ブランケットとジャージだけではとても、とてもこの冬は超えられなかったわね。


……貴方が居たから──隣に居るから、わたくしは。


『未熟ブランケット』完。


『無茶ぶりジャージ』


 まさか。

 まさかこんな所で、あんな衝撃的な姿を見ちゃうなんて。


「え、えっと……ダイヤちゃん? なに、その格好は? 」

「…………どうして、居るの。今日からAqoursの練習も休みなのに」

 ほっぺを赤くしてじろりとこっちを見つめてくる。目線は怖いけど、いつもみたいなプレッシャーはこれっぽっちも無いね……。

「いや何で居るのって……それは私も聞きたいんだけどね……」

 『あの』黒澤ダイヤちゃんが、
 一番そんなことしそうにない──寧ろ、私達がしてたら絶対注意してきたダイヤちゃんが──
 よりにもよってスカートの下に、制服の上に、ジャージを着てるだなんて!


◇ ◇ ◇ ◇


「理由は──勿論あるけれど……」

「むむむ……何だか怪しい臭い……」

 言葉に詰まって、目線をあっちこっちに泳がせるダイヤちゃん。ふふん。こういう仕草はウソをついてるシグナルだって、ドラマで刑事さんが言ってたのだ!

「と、とにかくっ、わたくしにも弁明の余地はあるでしょ? 一緒に来なさいっ! 」

「えぇ~、靴取ってすぐ帰るつもりだったのに……分かったよ〜……」


 照れ隠し? か何かなのか、早口でガーッと言ってくるダイヤちゃんの勢いに押されて、つい返事を返しちゃった。『分かったよ』の一言を受けるなり、ダイヤちゃんはくるっと踵を返して生徒会室の方へ向かってく。

 そもそもどうして、冬休みで授業も無い、Aqoursの練習も年末年始だからってお休みになってるのに、学校に居るのかは分からないけど……。

──ちなみに私は……単純に忘れ物をしただけです。あはは……。

 小学生の頃から、休みの前は絶対何かしら学校に忘れてくるのは恒例で……体操着だったり、お弁当箱だったり、上履きだったり──酷い時は持って帰るものを入れた袋ごと全部忘れちゃうこともあったかな……それで今回の忘れ物はランニングシューズ。

 中学校に入ってからは毎回チェックする様にしてるのに……どうしても頭から抜けちゃうの。
 身近なもの程、意外と忘れちゃうってほんとにその通りだと思う! (花丸ちゃんが何かの本で読んだんだって言ってた♪ )

「──しかし……何でこう、上手くいかないのかしら」

「え……? 」

「……」

 歩き出して数歩したところで、ぽつりと呟いたその言葉の意味がちっとも分からなかったけど。

 ちらっと見えた横顔は──何故かついさっきまでと一緒で、ほんのり赤いままだった。


──


 昼休みの終わり、一時二十分に鳴る様に設定されたチャイムは誰かの為でもなく、いつも通りうるさく鳴り響いて──鳴り終わるとまたしんとして、余計に静かなのが気になっちゃう。
 ただでさえ生徒数が少ないこの学校が、冬休みとなると、(ちなみに明日から学校閉鎖期間。だから今日の内に取りに来た、という訳です)本当に静かで、ばったり会った下駄箱の前から生徒会室まで歩くだけでも、何だか心が引き締まるというか……何となくぴしっとした気分になっちゃった。

 すたすた、誰も居ない校舎内を歩きながら、ダイヤちゃんの『弁明』を聞いていたけど……


「ものすっごく真っ当な理由だったね……」

 部屋の奥の方から引っ張り出してきた、少し錆びてるパイプ椅子をギコギコ言わせながら、横に座ってるダイヤちゃんに話しかける。

「で、でしょう? だから弁明をさせてなんて、わたくしらしくない言い訳をしたの。貴方も緑茶でいい? 」

「うん、寒いからうーんと熱くしていいよ」

「へぇ、意外。猫舌じゃないのね」

「ふふん。昔からよくあつーいみそ汁とかお茶とか飲んでたからね。慣れっこなんだ♪ 」

ウチの料理は基本、旅館のお客さん用の味付けと温度で出るから、意外と舌は鍛えられてるのだ!
……それでもコーヒーは駄目だけどね。苦いし。まずいし。

「ま、貴方はどちらかといえば、猫というより犬って感じだけれど」

「ちょっと、それどういう意味!? 」

「ふふっ♪ その食いつき方といい、本当に犬そのものなのではなくて? 」

「犬はしいたけだけで充分だよっ! 」

「……もしかすると、しいたけよりも騒々しいかもね、千歌さんは♪ はい、お茶」

「うぅ~……ありがと……」

ふーっ、ふーっ、と湯気を立てる熱いお茶に息を吹きかけると、勢いよくあったかい空気が顔にかかる。

「は~……あったか~い♡ 」

「今日も……本当に寒いわね……」

「うん。今年はいつもの冬より何倍も寒い気がするよ」

 クリスマスも過ぎて、冬真っ只中の内浦。
前からテレビで天気予報士さんが言っていた通り、今年の冬はものすごく寒い。だいかんぱ? っていうのが来てるんだって。
 その割に今のところ、風邪をひいたりしてないのは……Aqoursの活動のおかげ、なのかな?

 皆で練習したり、ステージに立ったり、(クリスマスに沼津でやったステージは大成功でした♪ )一緒に遊んだり……皆で過ごしてると、寒いのなんて忘れちゃうの。
 これって、チカが単純だから? それとも、案外皆、同じ気持ちだったりして。

 でもね……逆に一人で居ると、やっぱり寒い。今日だって、月末で定期が切れてたから、三、四キロはある学校までの道を仕方なく歩いてきちゃったのだ! (途中からあんまりにも寒くて走り出しちゃった! )

 それにしても、なんでなんだろう。シンプルに寒いから、寒いのか。

 それとも……一人だから余計に寒く感じてるのか……。

 どっちか──それともどっちでもないのか、分かんないけど……少なくとも今はあんまり寒くないのは……この熱いお茶のせい、なのかな?

「ずずー……ふうっ。そりゃ、これだけ寒ければ、ジャージ着ててもしょうがないよね~? 」

「そ、その話はもういいでしょ!? 真っ当だって納得していたじゃない!? 」

 そうだとしても、チカ達には口うるさく言ってたくせに! って言いたい所だけど、流石に我慢。ほんとに寒いんだから仕方ないよね……でも、覚えてるよ?

『浦の星の生徒が、そんな服装みっともないでしょう!? 』なんて叫びながら、ジャージ着て鬼ごっこしてた私達のことを追っかけ回してきたこと!!

 けど、ここで調子に乗ってダイヤちゃんを煽る様なことを言うと、また口うるさいモードになっちゃうだろうから、(半年の付き合いで、ダイヤちゃんがどこまでやると怒るかは把握済なのだ♪ )別の話──ここに来てまず初めに湧いた疑問をぶつける。

「ふぅ……大体さ、一人で片付けなんて大変なんだから、呼んでくれれば良かったのに」

「……はぁ、呼んだら呼んだで、また騒がしくなるでしょう? せっかくの休みにそんなのはごめんだわ」

 私と同じく、あったかい緑茶を一口飲んで落ち着いたのか、いつもの『硬度10』のダイヤちゃんが戻ってきた。

 そもそも、ダイヤちゃんが学校に居るのは私の『忘れ物を取りに行く』みたいなちっぽけな理由なんかじゃなく、もっとれっきとした、大事なものだったの。

 生徒会室の大掃除。
 教室は冬休みが始まる前に生徒全員で済ませていたから、(今年はほとんど使ってない様な教室も掃除したりした……)新理事長の鞠莉ちゃんの方針だって、ダイヤちゃんが溜息混じりに言ってたっけ──今してたのは生徒会室の掃除みたい。

「わたくしだって、その……別にこの部屋に深い愛着がある訳ではないけれど、一年間使ってきたのに、感謝もせずにそのまま……という訳にはいかないから」

「うーん。確かに、大掃除は感謝も込めてやらなくちゃいけないんだって、昔お母さんにも言われたなぁ」

「そういうこと。って、そういえば貴方、こんな所で油を売っていていいの? 」

「え? 油を売るって…………あぶらをうる? 」

「暇を持て余すっていうこと! 旅館のお手伝いとか、家のことが色々あるのではなくて? 」

「あ……」

「年末年始は旅館にとっては書き入れ時──お客様が沢山来るっていうことね。そういう時期だから、温泉の掃除は勿論、料理や部屋の準備がいつも以上に忙しくて──」

「そ、そんなの分かってるよっ! って……叫んでもしょうがないんだけどね……はぁ。それにしても、良くウチが今忙しいって分かったね〜」

「普通に考えてみれば分かる話でしょ? 旅館が繁盛するシーズンくらい、高校生なら推測出来ておかしくないと思うけれど」

「えぇ〜、そんなの無理だよ〜……」

 ただ、まさにダイヤちゃんの言う通りで。
この時期になると、団体さんの予約が多く入って来たり、一年の疲れを癒す、なんて言って温泉に入りに来るおじいちゃんおばあちゃんも近所から沢山来たりして……

「ん? だったらダイヤちゃんちも結構忙しいんじゃ」

「……わたくしは──っくしゅん」

「えっ、だ、大丈夫? 寒いの? 」

「そ、そんなはず──くしゅんっ! 」

「わ!? ほんとに大丈夫!? ほらっ、ブランケット羽織りなよ! 」

 椅子に掛かった赤いブランケットを手に取って渡す──にしても、ダイヤちゃんって意外とくしゃみは可愛いよね♪

 それと、今気付いたけど──この部屋、じっとしてるとなかなか寒い。一応、おなじみの古くていつ止まるか分からない様な電気ストーブがぶーんと小さな音を立ててせっせと部屋を暖めてるけど──やっぱり、そんなに効果はないみたい……。
 私は外から来て、そのまま着たままのコートがあるからともかく、ジャージを着てるとはいえ、後は制服一枚ってなると割と寒そう……

「……私のコートも着る? 」

「んんっ、平気。それだと今度は貴方が寒くなるじゃない」

「それは……まぁ、そうだね」

「だから何度も言ったでしょ? ジャージを着たのは不可抗力だったって」

「うん、仕方ないことだっていうのは分かったけど……前はあんなに注意してたのになぁって」

「だって……誰かに見られるだなんて思ってもみなかったもの」

「あ、はは……そうだよね……」

「もう。皆には絶対言っちゃ駄目よ? このことはわたくしと貴方との秘密。いい? 」

「……」

「ちょっとっ、ほんとに分かっているの? まさか……誰かに言いふらしてやろうだなんて、思っていたりしないでしょうね……!? 」

「──ああっ、う、うん。大丈夫! そんなことしないから! ダイヤちゃんの名誉にも関わるもんね!! 」

「はぁ……約束よ? 」

「……うん」

 秘密。それに約束……何となく特別って感じがして、嬉しい。

 今まで数え切れないくらい、そういう言葉は使ってきたのに、ダイヤちゃんに言われると──うん、理由は分かんないけど、嬉しい。
 普段はあんまりそういうこと言わないし……ギャップ萌え? っていうんだっけ? こういうの。(梨子ちゃんが前説明してくれたのだ♪ )

 そう考えると、ジャージ着てるのも『ギャップ萌え』って感じがしてなんか可愛いかも……

「──千歌さん、何ぼーっとしてるの? 」

「えっ……あ、べ、別に可愛いとか、そんなこと思ってな──あ……」

「何の話? 」

「いや、ほんとに、何でも……」

「本当に? 」

「う……そ、その……」


 ダイヤちゃんと目が合う……何度目かも分からない瞬間だったけど、この瞬間だけは、その何度目かのどれにも当てはまらない──それどころか、今まで味わったことの無い、不思議などきどき。

 悪巧みをする時と似た、意地悪そうな顔と、目の前の綺麗な緑色の目は、私のこの気持ちも──名前も正体も分からない『何か』まで見透かしてるみたいで……つい目を逸らし──

「は──はくしゅんっ! 」

「うわっ!? 」

「ご、ごめんなさっ、ああっ、は、鼻水が……ティッシュティッシュ……」

 そう言うと、生徒会室の入口に放り投げられた? カバンの中にあるらしいティッシュを取りに行った。

──でも……どきどきはまだ止まらない。

見つめ合ってた瞬間──最も、私が勝手に見てただけだけど……しかもほんの一、二秒とか、本当に短い瞬間だったはずなのに、それが何だかとても長い時間に感じて……なんて、すっごいありがちなフレーズだなぁ。一応作詞やってるのに、全然それっぽい言葉が出てこないのは、我ながら恥ずかしい……。

 がさごそとカバンを漁っている背中を見ながら──今度こそ、自分の気持ちを良い感じの言葉で表そうとして──また失敗。


 ちーん、って鼻をかむ音。ダイヤちゃんもこんな音立てて鼻かむんだなぁ……くしゃみとおんなじで結構意外かも♪ にしても、なかなか収まらないのかな? 話すことも無くて、急に退屈になった私は、さっき淹れてもらったお茶を飲む──あったかい。

 ちーん……ずずずー……言葉は無いのに、顔も見えないのに、こうやってしてるだけで。同じ空間に居るだけで、気持ち良くて──ポカポカしてくる。不思議だな。

 三、四回鼻をかんで、私は二口お茶を飲んだ所でダイヤちゃんがこっちに戻って来た。まだ顔は赤いまんま──というか、今日会ってからずっとこんな感じだから、もしかするとこれが普通なのかも?
 でも、やっぱりいつもはこんなんじゃないよね……どうしてなんだろう……。

「……ふぅっ、見苦しい所を沢山見られちゃったわね……ほんと、どうして今日に限って、貴方が居るのかしら」

「む、私だって別に来たくて来た訳じゃないのに……」

「大体、普段からしっかりしていれば、こんな無駄な労力を使わないで済むでしょ? 」

「もう、またお小言〜、ほんとにお母さんみたいだよ〜」

「お母さんでも何でも結構。わたくしが言いたくて言っているだけだから。貴方が聞くか聞かないかは、別に自由よ? 」

「そ、そう言われると言うこと聞くしかなくなるじゃん! いじわる! 」

「ふふっ♪ 分かればよろしい♪ 」

「う〜……何か良い様に誘導されてる気がする……ジャージ着てたこと、忘れてないからね? 」

「だーかーら……それはもう良いって言ったわよね!? 」

「ふーんだ、こっちだってダイヤちゃんの弱みしっかり握ってるもんね♪ 」

「ちーかーさーんっ……? そうまでしてわたくしを怒らせたいのかしら……? いいでしょう。それなら、まだ手をつけていない資料の整理を──」

「わ、分かったっ、分かったから!! 」

「……本当に、二人だけの秘密よ? 」

「……うん、分かってる」

 また目が合った。もしかして、ダイヤちゃんも見つめてくれてる──のかな。

 さっきと違う。今度は真剣な顔で──光る緑で、私を照らしてくる。見えてるの? 私の中の──あっちこっちに行って、落ち着かない心が。


……もし見えてるなら、教えて欲しい。

 自分の中で起きてるはずなのに、ちっとも分からない、あれもこれも。全部──教えてくれたら、楽なのにな……。


「……あのね、千歌さん。一つだけ、言っておきたいことがあるの」

「──ん? な、なに? 」

 ぷつりと思考が断ち切られた。言っておきたいこと? 何だろう。ちっとも見当がつかない。

「その…………今だからこそ言えるのだけれど……貴方には、感謝してるの」

「……え? 」

 思いもしない言葉だった。まさか、あのダイヤちゃんが私に感謝だなんて。
 そんなのありえないって思って──もいなかった。そもそもそんなことを言うなんて──言われるだなんて考えたことも無かったし。

 私の混乱とは真反対に、ダイヤちゃんははっきりとした口調で更に続ける。

「時が流れてしまって、言いそびれそうだったから……こんなタイミングになったのはごめんなさい。でも……絶対に言わないとって、ずっと思ってた……これは本当よ? 」

「え、か、感謝なんて……そんな、別に感謝される様なこと、してないと思うけど……? 」

「いいえ。貴方は自覚していないかもしれないけれど、確かに行動で教えてくれた。わたくしの中に、眠っている気持ちがあるって」

「眠ってる、きもち? 」

「ええ。学校が好きで、内浦が好きで、自分の家が好きで──今は……Aqoursも好き」

「……ダイヤちゃん」

 感謝してる、と同じくらい予想外の言葉。

 ずっと言ってなかっただけで──やっぱり好きなんだね。そっか……それが知れたっていうだけで、すごく嬉しい。

「素直になるとかならないとか、そういうことじゃなくって……そもそもわたくしの中にそういう感情は無いって思ってた。それなのに……貴方は何度も何度も、諦めずにわたくしのことを揺さぶってきた」

「うん。何回も入部してってお願いしては、毎回毎回、すげなく断られてたね……」

 けど、諦めずにっていうのはちょっとだけ間違いで……正直、あんまりにも折れてくれないから、何回か諦めそうになったんだよ? でも、果南ちゃんが『本気でやるって決めたんでしょ? だったら途中で手を抜くなんて、絶対駄目! 』って言ってくれて……今ではAqoursの仲間で、良い友達にもなれたのだ!

 最も、それを言ったらまたダイヤちゃんに弱みを一つ握られることになるから、言わないけど……恥ずかしいしね。

「馬鹿馬鹿しい。時間の無駄、って正直思っていたけれど、いつの間にか──本当に気付かない内に、『やってみてもいいかしら』なんて思ってる自分が居て。それに気付いてしまった時点で、もうわたくしは変わっていたのかもしれないわね」

「……最後まであんなに強情張って、入らない、認められないって言ってたのに? 」

「あ、あれは……はぁ、今思えば情けない話ね……素直に負けを認めないなんて、愚かとしか言いようがない──くすっ、ふふふ♪ 」

「ど、どうしたの? いきなり笑って」

 しんみりとした表情を浮かべながら、あれこれと思い出話を語っていたダイヤちゃんの話すペースが急に崩れた……珍しい。ましてや自分からくすくす、笑い出すなんて。

「だって……本当に昔の自分が、愚かだったなって思うと、面白くって……くすくす♪ 」

「お、愚かなんて……そこまで言う? 」

「分かってるわ。昔の自分も自分で、大事なものなんだってことくらい。それでも……そもそも、人は色々な側面があってもいいんだって、気付けたから、ここまで割り切れているのよ? 」

「それは……確かに……Aqoursに入る前の昔のダイヤちゃんが今のダイヤちゃんを見たらだったら、絶対『認められないわ!! 』って言いそうだよね〜」

「うっ……否定は出来ないわ……コホン、だからこそ、なの。貴方には感謝してる。色々なことを気付かせてくれた、千歌には──」

「…………え、今、呼び捨て」

「あっ、い、今の……ち、違うっ! ただ、間違えただけだからっ! 間違えただけよ!! 」

 何故かすごく取り乱してるダイヤちゃん。そんな、間違えただけならここまで焦らなくてもいいのに……どうして?

「よ、要するに! そういうこと! その節は本当にありがとうございましたっ! はぁ、年末だから、今まで出来ていなかったことが清算出来て良かったわ、本当に──はぁ……」

「え? あ、うん。こちらこそ、Aqoursに入ってくれて、ありがとね♪ これからも、よろしくっ♪ 」

……要するにどういうことなのかはちっとも伝わってこなかったけど──

「……これから」

「…………へ? 」

 今、ほんの一瞬。悲しそうな目を、辛そうな表情をして

「──さぁ、ちょっと話し過ぎたわね。今日は閉門が四時だから後二時間も無いのに……」

「あ……う、うそっ!? もうそんなに経ってたの!? 」

 ダイヤちゃんの顔から目線を壁掛けの時へ向けると──二時十分。学校に着いてから何だかんだで丁度一時間が過ぎてた。

「貴方が来ていなかったら、今頃──」

「そ、その言い方、もしかしてチカと会わなきゃ良かったってことっ!? 」

「…………まさか。偶然会えて、良かったわ。それに……寂しかったし」

「えっ? 」

「なっ、何でもない──そうだ、貴方もそろそろ帰りなさい? 家のお手伝いがあるんだから。もしもお姉さん達に、遅くなったことで何か言われたら、『わたくしが無理を言って引き止めたんだ』って弁明していいから」

「あっ……で、でも、一人で大丈夫? 」

「一人で出来ない様なことがあったら初めから誰か呼んでるわ。本当に大丈夫だから、もう行きなさい」

「うん…………そこまで言うなら、分かったよ。夕方はうんと寒いから気を付けてね? 」

「貴方にわざわざ言われなくとも分かってるわ。そちらこそ、今日はこんなに寒いのに、例のぶかぶかコートではなくて大丈夫なのかしら? 」

「な、何でそれを引っ張り出してくるかな!? 別に平気だよっ! 」

 まぁ……正直あれはあったかいけど。でも──今はもっとあったかいから、必要ないのだ! うんっ!

「それでは──千歌さん、良いお年を」

「へ? あっ! そっか! 」

 学校閉鎖期間の一日前の今日は十二月三十日。Aqoursの練習も三が日が終わるまで無いから、今年直接顔を合わせられるのはこれで最後かもしれないのか! ダイヤちゃんの方から何か呼び出しがあったら別だけど……(怒られる様なことはここしばらくはしてない! 気がするし……)

「うんっ、良いお年を♪ 今日はありがとうね♪ 」

「こちらこそ……今日は──貴方とゆっくり話せて良かったわ♪」

「じゃあ、また一日にね〜」

「ええ。楽しみに、してるわね」


 最後まで、やっぱり顔は赤いまんまで、いつもと変わらない優しい笑顔を浮かべながらチカのことを見送ってくれたけど──

 ほんの少しだけ、最後の一言に何故か暗い雰囲気を感じたのは──気のせい、だよね……?


◇ ◇ ◇ ◇


 確かに聞こえた『寂しかった』って言葉。その部分だけ小声だったけど、二人しか居ないんだから聞こえない訳無いのに──誤魔化してたのは明らかだった。

 ダイヤちゃん自身の話とか、意外な一面とか、沢山見たり聞いたりしたけど──それでもダイヤちゃんのことはまだ全然分からない。まだ何かあるんじゃないかって、何となく、そんな気がするんだ。話せば話す程。

 最後、少し暗かったのも気になるし。どうしたんだろう。どうしてなんだろう。

 そもそも、自分のことだって良く分かってないのに、人のことなんて分かるのかなぁ……

──ただね。それでも分かってることは二つだけある。

 真面目な話をしてる時に、制服にジャージなんてスタイルだと、何だかシリアスムードが半減しちゃうことと。
 ダイヤちゃんにも、もっとポカポカして欲しいなっていう──自分の中に、蝋燭の炎みたいにぽっと灯ったはっきりとした気持ちがあるってこと。

 でも、私の気持ちってだけで、向こうは勿論知ってるはずないし──どうすればいいんだろう。行き場の無い、理由も分からないこの不思議な気持ち……うーん…………そうだっ! いいこと思いついた!!


 私が作ればいいんだ。ダイヤちゃんの『あったかい』を──!

 でも……もしほんとにやるなら、帰ってから作り方調べないとね。ああっ、家のお手伝いもあるし……だとしたら、二日で間に合うのかな?

……ううん。間に合わせるんだよ! 何としてでも、ダイヤちゃんにもっとあったかい思いをさせてあげるのだっ!


◇ ◇ ◇ ◇


「え……い、今、なん、て? 」

 まさか。

 まさかここで……こんなことに。

 真冬に氷水を思いっきり頭の上からかけられるよりも、ずっと冷たい感じが、背筋を走っていく。
 だって。もしそうだとしたら……私が、私が気付けなかったからっていうことに…………


 家に帰ってすぐ。本当に丁度のタイミングで──ダイヤちゃんが学校で倒れたっていう電話が、鞠莉ちゃんからかかって来た。


『無茶ぶりジャージ』 完


『非対称マフラー(前)』



「お姉ちゃん……ほんとに、大丈夫? 」

「ええ。少し体が重たいだけで、他は何ともないから、心配かけてごめんなさいね? 」

「そっか……そうだっ、お粥持ってきたんだ! 生姜入ってるから、あったまるよって、お母さんが言ってたよ! 」

「そう……ありがとうって伝えておいて」

「分かった。ゆっくり休んでね……? 」

「ええ、ルビィもありがとう」

「……うん。明後日までには、治るといいね。じゃあ、お大事に……」


「…………はぁ」

 やって、しまいましたね。

 ひきかけていた風邪と──恐らく心労のせいで倒れ、こうして一人床に伏していると嫌でも今日あったことが、頭の中で勝手に反芻されてしまいます。


 千歌さんを見送った後……掃除なんてする気は元々無かったから──さて、これからどうしようか、考えようとした途端に視界がぐらついて──気が付いたら生徒会室の机の上に転がっていて、目の前には何故か鞠莉さんが居た。

 彼女は本当に理事長室の掃除や校舎の見回りをしに来ていたらしく、その途中でわたくしが部屋の真ん中で倒れているのを見て、殺人現場かと思ったんだとか。サスペンスドラマじゃないんだから……とも言いたかったけれど、もしも誰も来てくれなかったら、と思うと恐ろしくてたまらない。

 あんな所で、一人で凍え死ぬなんて死んでもごめんだわ──って……これじゃ千歌さんの駄洒落みたいじゃない。恥ずかしい……。

 思考が逸れて、目の前のお粥へと意識が向かう。湯気をもくもくと立てているそれは、手がつけられるのを今か今かと待っている様で。お腹はあまり空いていないけれど、何か食べないと治るものも治らないと思ったから、ひとまず口に含みます。

「ふーっ……あったかい……」

 少し辛いくらいの生姜の味が、体を芯から暖めてくれる。シンプルだけれど、こういう時はやっぱりお粥ね。一口食べると意外にも食が進んで、あっという間に食べきれました。
……食べきって、また思い返してしまいます。本気で怒ってる鞠莉さんの顔。

 病院に連れていくと言って聞かない彼女を何とか説得して、結局鞠莉さんのお父様の車に乗せて頂いて家に帰りました。

『理由はしっかり治ってから聞くから』という言葉を残していく辺り、やはりというか、流石腐れ縁と言った所でしょうか……倒れたこと自体は、本当にただの疲れが原因なのに……大袈裟なんだから──

 ただ確かに、今日のわたくしは自分で振り返ってみてもおかしな行動だらけだった気がします。

 特に──今朝のあれは。なんて……なんてわたくしらしくない振る舞いだったか。


◇ ◇ ◇ ◇


「今年ももう終わって──来年はダイヤも大人の仲間入り、か」

「あら。貴方、寂しいの? 」

「いや……ただ、早いものだな、と」

「そうね……それにしてもあの子、大丈夫かしら。『三月まで部活を続ける代わりに、卒業したらすぐに黒澤家の看板を背負って立つ』だなんて言われた時は、正直驚いたけれど……」

「ああ。それでも頼もしいな。心を鬼にして、全てを叩き込んできた甲斐があった……どうした? 」

「いえ、その……あの子ね、迷ってるみたいなの」

「──迷う? 一体何を……? 」

「ええ。表には出さない様に努めているみたいだったけれど、ここ最近──特に十二月に入ってから、所作に迷いが出ていた……ま、貴方は気付かなくても仕方ないわね」

「……はぁ、お前には敵わないよ。全く。それで、何を迷って──」


◇ ◇ ◇ ◇


 それ以上は、とても聞いていられなかった。


……今更打ち明けられまいと思って、諦めていたその悩みをまさか──母に見透かされていたなんて。

 黒澤家の家業を継ぐこと自体に抵抗は無いし、寧ろそれが本望だと思っていました。
 その為に、数十年間様々なお稽古や作法、立ち振る舞い──それこそこの家の看板を背負って立つ為に必要な全てを学んできたんだから。

──けれど。

 ほんの少しだけ──瞬きする程の僅かな瞬間だったかもしれない。

 ある時、ある『夢』を抱いてしまったの。

 まだ何も考えていない、子供が語る淡い夢の様な物で、本来なら──未来が決まっている身なら、切って捨てるべきものだったそれを、わたくしはいつまでも持ち続けてしまっていて……それを母に、父に知られた。

 それだけで、何だかとても、ここに居ることが怖くなって。
 制止するルビィを押し退け、逃げる様に家を飛び出して……だけど行くあては無く、気が付くと学校に足が向かっていた。

 そしてそこで千歌さんに会って──甘えてしまった。必要の無い嘘をついて、彼女を引き止めて……流石に全ては話さなかったけれど、それでも一時の慰めに千歌さんを利用したのは事実。
 こんなの、自分で決めて、割り切って進まないといけない些細な問題なのに。


 これは──わたくしの中で燻る迷いは。どうしようもない、子供のワガママ。

 だから、そんなワガママを言ったところで、結局やるべきことはやらなければならないし、例えどんなに駄々をこねても、その瞬間も一秒一秒、変わらずに時は流れ続ける。


 けれど……はぁ、と吐息にこの行き場のない感情を込めて吐き出そうとしても、空気に溶けこんで消えてしまう呼気の様には、わたくしの中の黒いものは消えてはくれない。

 そもそものきっかけは恐らく、Aqoursの活動が軌道に乗り始めた頃、一度父親といさかいがあった際に、投げかけられた問い。

『いつまで続けるのか』。

 その時の父は母と違って、あまりスクールアイドルの活動に好感を持っていなかったから──当然といえば当然の疑問だった。

 わたくしのその時の答えは単純で、『一度始めたものを途中で投げ出すのは、わたくしの性分に合わない』というもの。

 これも当然といえば当然の答えで、黒澤家の長女として──重荷を下ろしたルビィの分まで──精進しなくてはならない気持ちがあったから、はっきりとそう言った、と思う。

……考えてみれば、その時点で既に迷いの炎は灯っていたのかもしれない。そしてそれは──時間をかけて確実に燃え広がっていった。

 そして今となっては、わたくしの根幹を揺るがす程に轟々と燃え盛っている、その炎。

 家を継ぐか、夢を目指すか──決まっている。家を継ぐに決まっているでしょう?

 ありえない。そんな、今からそれを目指すなんて、考えなしにも程がある。向こう見ずもいいところ。そんな、そんなものを考えてる暇があったらもっと現実的な──そう、黒澤家の当主として、将来の展望について今から考えておくべきです。そうっ、例えば──


◆ ◆ ◆ ◆


 てくてく、広い廊下を歩いている。ここは──お城、かしら?
 床を踏み込む度に、きゅ、きゅ、と音が鳴って……これ、鶯張りね。昔家族で京都に旅行に行った時に歩いたことがあるわ。

 それにしても、やけに静かね……

「誰かー! 誰か居ないのーっ!! 」

 しーん。返事は無い。けれど、歩き続ける。きゅ、きゅ、と鳴る床の音が広すぎるお城の廊下にただ虚しく響く。
 
 歩く。

 歩く。

 歩く…………。


 駄目。どこまで歩いても、同じ廊下。後ろを見ても、前を見ても変わらない風景で、綺麗に磨かれた床が果てしなく続いている。

 大体、どうしてわたくしはこんな場所に居るのかしら? 夕ご飯までには帰らないと、お母様に怒られてしまうのに。

「……誰か、居ないの? 誰か……? 」

  しーん。こんなに立派なお城なのに、何で誰一人わたくしの声に気付かないのかしら? それとも、広すぎるから届かないの?

…………ああ。やっぱり一人、なのね。
 本当は初めから分かっていたけれど、何だか……寂し──

 バンッ!

「きゃっ!? 」

 突然何かが破裂する様な音がどこからともなく聞こえてきて、思わずその場にしゃがみこんだ。

 バン! バン! 止まない。早く止まって……もう……誰か、助けて──


──いつの間にか眠っていたみたい。沢山歩いてきたから、ま、仕方ないのかしら。
 音が鳴ってたのは数秒かもしれないし、もしかすると数時間だったかもしれないけれど、眠ってしまったんだから確かめようがない。

 そっと顔を上げて周りを見渡し、さっきの音の元を探すと──そこら中の窓という窓が開いてて……ちょ、ちょっと、これじゃ風が──

 轟ッ!!

「きゃああっ!? 」

 窓が開け放たれる音──『バンッ! 』なんて比べ物にならないくらい大きくて激しい音が、凄まじい勢いの風と一緒に吹き付けてくる。
 それが頬を掠める度に、『誰も近寄らせないぞ』と言っているように感じたのは──どうしてかしら。誰が? どこに? 近寄らないと言っているの?

 とにもかくにも、飛ばされない様にしゃがんだ体勢のまま、手足に思い切り力を込めて踏ん張る。不幸中の幸いか、雨は無いみたいだけれど、それでも台風の暴風域の中みたいな風の強さに、吹き飛ばされそうに……

 吹き飛ばされちゃ──駄目なのかしら?
実はこの風は鞠莉さんが用意した巨大扇風機が起こした物で、わたくしを驚かせる為の演出で……飛んでいった先にはトランポリンが用意してある!

 そう!
 そうに違いないわ! だったらこのまま風に身を任せて──

「ぁ──あああああああっ!! 」

 力を少し抜いたその瞬間、一秒も経たないうちに体が真横に吹っ飛んだ。宙に浮かぶ感覚。これは──横浜の遊園地に連れて行ってもらった時に乗った、じぇっとこーすたー? と同じ感じ……じゃなくって、このままじゃ、このまま普通に落ちる!? トランポリンとか、巨大扇風機とか、子供の夢じゃあるまいし、そんなものある訳ないじゃないっ!?

『チェストーッ!! 』

「──えっ? 」

『ねぇ、ダイヤ〜っ! あなたが昨日食べたプリン、マリーのパパのなんだけど!! 』

「な、何のこと!? というか……く、クレーン車!? 」

 命知らずのスカイダイビングからわたくしを助けてくれたのはトランポリンではなく、巨大クレーン車。乗っているのは鞠莉さん? けれど、何を言っているのか全然分からない。

「鞠莉さ〜ん! 助けてくれてありがとう〜!! 」

 こちらの声が通っているか分からないけれど、とりあえず叫ぶ。

『大体ダイヤはいつもそう。大事なものは独り占めしちゃうの、卑怯よ! 』

 はぁ、どうやら聞こえてないみたい。

 え? それなら、なんで向こうの声がわたくしは聞こえるの? 一体どうやって──

「うわっ!? ま、鞠莉さんっ!? 」

 ぼんやり考え事をしていると、クレーンを乱暴に動かしたのか、さっきの風ほどの強さと激しさではないけれど、ぶん、と放り投げられた。

「な、何するのっ、いきなり! 」

『プリンが無かったら──浦の星は廃校にならなかったかもしれないのに! 』

「えっ、そんなことを言われても……」

『貴方がちゃんとしてれば、小原グループはこんな所にホテルなんて建ててなかったのに! 』

「な──い、意味が分からないわ! 」

『ねぇ、どうして私はこんな所に引っ越して来たの? 都会と違って、何も無い……ダイヤさんがあの時電話を間違えて切ってなかったら、こんなことにはならなかったのに……』

「え、な……り、梨子、さん? 」

 いつか見た音ノ木坂学院の制服を着た梨子さんが、突然出てきてまた意味の分からないことを言ってきた。

──それを境に次々とAqoursのメンバーが目の前に現れて、何の脈絡も、根拠も無い恨み節をわたくしにぶつけ始める。

『ダイヤさんが乗る電車を間違ってなかったら、マルのお寺が廃れて生きていくのもやっと──なんて状態、なかったのに。酷いずら』

 緋色の袈裟──とはとても言えない薄汚れた布切れを纏った花丸さんが冷淡な口調で告げる。

「わたくしのせいじゃないわ! そんなの!! 」

『もしも、あの日自販機でコーヒーとおしるこを買い間違えてなかったら──今頃私は飛び込みでインターハイに出てたかもしれないな〜……はぁ』

 競技用水着に帽子とゴーグル──今すぐプールに飛び込めそうな格好をした曜さんが、呆れた様な口調で告げる。

「知らない! わたくしのせいじゃない!! 」

『東京に行った時、道を間違って無かったら、ヨハネはこんな──足を滑らせて、腰の骨を折るなんて不運、被らないで済んだのに……何でなのよ……』

 病衣を着て車椅子に乗った善子さんが、今にも泣き出しそうな口調で告げる。

「な、何でって……知らない、そんなの、知らない!! 」

『……児童会長の挨拶でさ、ダイヤ、緊張して噛んでたよね? あれのせいで、ごほっ、私……いつまでも学校に通えなくて、大変なんだよ? 』

 ウエットスーツに身を包んで、手に制服と、赤と緑のリボンを持った果南さんが、疲れ果てて掠れ気味の声で告げる。

「し、知らない、わたくしは何も……してないじゃない……! 」

『サイン書いてって言われたのに、何も用意してなかったから、Aqoursを応援してくれる人はゼロだった……結局、何も変えられないんだ、私』

今まで着てきた様々なステージ衣装──『恋アク』や『想ひと』の衣装──を踏みつけて、ビリビリに破けた『君ここ』の衣装を着た千歌さんが、投げやりな口調で告げる。

「違う……そんなこと、違う……!! 」

『……お姉ちゃんが──全部全部一人でやっちゃうから。ルビィは家で立場が無くなって……辛かったんだよ、ずっと』

 ぶかぶかの稽古着を着て、とてもあのルビィとは思えない程低い声で──言い放つ。

「あ……ああ……ちが、う……っ」

 どれも──どれもどれも、因果はめちゃくちゃで。

 めちゃくちゃで?
 わたくしには関係の無い話で?

「違う……違う、違う!! わたくしは、悪くない!! 何も、何も悪いことはしてないでしょ? し、失敗しても、ちゃんと反省して、二度と同じことはしない様にした!! そうでしょ? ねぇ、皆さ──ん? 」

『貴方のせいよ』

『貴方が悪いの』

『貴方がちゃんとしていないから』

『貴方が道を逸れたから』

『貴方が夢を捨てなかったから』

『貴方が自分を曲げたから』

『貴方が失敗したから』


『あなたが──子供のままだから』


「い──や、いやあああああああっ!? 」

 瞬きをした瞬間──だったかも怪しい、刹那のうちに目の前の異様な風景は一転して、完全に非現実そのものになってしまった。


 わたくしが、居る。

 小学生の自分。中学生の自分。高校生の自分。まだ見ぬ大人の自分から赤ん坊の──ようやく歩き出した頃の、写真でしか見たことのない自分までもが、居る。

 そしてその全てが、わたくしを責め立ててくる。

『貴方が悪いの』

『貴方が駄目なの』

『貴方がいけない『貴方がしっかりしてない『貴方のせい『全部悪い『責任は貴方が『違うの? 』

「違うッ!! 」

 もう嫌だ。こんなの、もう。沢山の自分に背を向けて、やけくそになって走り始めた。

 すると、同時にまた強い風が吹いてきて、すぐに吹き飛ばされてしまって──


 ドンッ!!

「あ──ぐ、う……いた、い……」

 壁か何かに激突して、体は止まったけれど、全身を打ち付けたせいで起き上がることが出来ない。

 何とか顔だけ動かして辺りを見回すと──お城の門? いいえ、これは……わたくしの家の門、でしょう。

「……はぁ、助かった……」

 見覚えのある風景に、思わず安堵のため息が漏れる。
 良かった。ようやく帰ってこられた。倒れたまま空を見上げると真っ赤。夜じゃない……色々あったけれど、夕ご飯までに戻れて、安心

『──ダイヤ、何故ここに居るんだ? 』

「…………は? 」

『貴方……もう家は捨てたのではなくて? 』

「え、待って、何で? お、お父様? お母様? わたくし、帰ってきたんですよ? 夕ご飯までに、ちゃんと──」

『お前の居場所は、』

『貴方の居場所は、』

『『“ここじゃない”』』

「あ──」

 その一言を機に、まるでCGの様に、世界がボロボロと崩れ始めた。

 ボロボロ。ボロボロ。全部ボロボロ。

 何もかもが崩れて、崩れて。無くなる。無くなる──居なくなる。


──そして、戻って来た。初めのあの廊下。

 誰も居ない大きなお城の、果てなく続く、終わりの無い道に──

「──ヤちゃ……」

「え……? 」

「ダイヤちゃんっ! 」

「この声──ちかさん? 」

 声の在り処を探すけれど、分からない。
どこから……もう一度聞こえれば……

 目を閉じて耳を澄ませる。集中して、次は聞き逃さない様に。失敗しない様に──

「ダイヤちゃんっ!! 」

 聞こえた。この声の源は──


◇ ◇ ◇ ◇


「…………千歌、さん? 」

「あ──ダイヤちゃん……ダイヤちゃん……っ! 」

 恐る恐る目を開けると、目の前に千歌さんが居ました。

「まぁ……こんな近くに居たのね。それなら最初から来てくれれば良かったのに」

「う、うぅっ……よかった……よかったよ〜っ!! 」

 両目に涙を浮かべながら、起き上がりかかっていたわたくしを、ぎゅっと──少し痛い程に抱き締めて……

 って……あら?
 ここはお城──ではなく、自分の部屋で。千歌さんだけでなく、Aqoursの皆さんや、両親やお手伝いの方まで、わたくしを囲んでいて。

「その…………これは、一体? 」

 いまいち、理解が追いつかないけれど。
 最低最悪の状況からわたくしを救ってくれたのは……鼓膜に刺さるくらい、わんわん声を上げて泣いている彼女だ、ということは何故だかはっきりと分かりました。



『非対称マフラー(前)』 完


『非対称マフラー(後)』



『明けましておめでとう。それと……お誕生日おめでとう。それから何より──マリー達はみーんな、ダイヤのことを思ってるのよ? 心配してくれる人は沢山居るってこと、忘れないでね? 』

『勿論、いつでも手は貸すし、逆に必要ないってダイヤが思ったなら、私達に気を遣って無理して頼ったり、言いたくないことを言う必要もない。でも──何もかも全部、一人で抱え込むのだけは、それだけはやめて欲しいな』

『ダイヤ。お前は黒澤家の長女である以前に……一人の人間だ。どういう道を選んでも、俺は、応援するつもりでいる。だから……その、なんだ。お前は間違ってはいないからな? 』

『くすっ♪ この人ったら本当に口下手なんだから……そういうところは、ダイヤに似てるのかもね? はぁ……ダイヤ。わたくし達がこういうことを言っても説得力が無いって思われるかもしれないけれど……本気で、貴方は貴方のしたい様にすればいいって、思っているわ。家を継ぐも良し、夢を追いかけるも良し……ただね、最後に決めるのは他の誰でもない、貴方。時間はあまり無いけれど、しっかり考えて……もし自分で分からなければ、お友達でも、わたくし達でも、誰でも頼って相談して──答えを出しなさいね? 』


 沢山、温かい言葉を貰いました。

 特にわたくしが悩んでいたことを察していたであろう鞠莉さんと果南さん、その内容をも知っていた父と母の言葉は、胸に染み入る優しさがありました……。


 その後で、盛大に新年会兼誕生日会が開かれ──Aqours一人一人が何故か一発芸を披露し合う催しで、善子さんが本物のカラスを『召喚』した時は流石に驚いたけれど……というか、どうやって捕まえたの!? 聞いておけばよかったわ……とにかく、とても……とても楽しかったです。

 誕生日プレゼントには、両親からネイビーブルーのトートバックを、メンバーの皆さんからは──なんとダイヤモンドがあしらわれた銀色のピアスを頂きました。勿論天然のダイヤモンドではありません。九人で出し合っても買えなかったんだ、なんて、千歌さんは残念そうにしていたけれど、充分過ぎるプレゼントです。本当に……

──また大事なものが増えてしまいましたね……どちらも末永く使っていきたいです。

 普段の睡眠時間からすると相当寝ていたということもあって、体はガタガタだったけれど、風邪がすっかり治ったことで寒気も消え去って──沢山笑ったのも良かったのかしら? 久しぶりにすっきりした気分になれました。


 その誕生日会──というより宴会? も終わって、メンバーの皆さんは帰っていき、わたくしは大事をとって部屋に戻る様にと、母に促されて布団の中に入ったけれど……やはりというか当然というか。全く眠れず、今日のことを色々と思い出して眠気に呑まれるのを待っている最中です。

 それにしても……まさか眠りながら年を越すなんて思ってもみなかったわ……。

 耳元で叫んでも、揺すっても目を覚まさないわたくしを病院に連れて行こうにも、年末年始ということで殆どの病院が閉まっていたから、もし一日の朝まで目を覚まさなかったら静岡県内の大病院に運ぼうとしていたみたいで──運ばれていたらどうなっていたんでしょう?
 わたくしを思っての考えだったとはいえ、煩雑な手続きやら検査入院やら、色々な面倒があったかもしれないと思うと、何とか目を覚ませて良かった──千歌さんには感謝してもしきれないわ……。

 勿論、感謝すべき相手は千歌さんだけではありません。
 あの日、学校で倒れたのを知っていた鞠莉さんがAqoursの皆さんに呼びかけて、昨日もお見舞いに来てくれていたことも。
 今日の朝方、うなされていたわたくしの傍らで、メンバー全員で代わる代わる呼びかけてくれたことも。

 そして……この時期は普段の何倍も忙しいはずなのに、ずっと気遣っていてくれた父と母も……。

 沢山の人に支えられているのを、こういうことで改めて実感するなんて……烏滸がましいのかもしれないけれど。嬉しいことだと、しみじみと思います。

 でも──一人になってまた、落ち着いてきた迷いの炎がちりちりと燃え始めて、どうしても気分が沈んで、答えを求めて思考が回り始める。
……改めて、家を継ぐのか、『夢』を追いかけるのか。しっかり考えないといけないわね。
両親も、友人達も、どういう道を選んでも応援してくれると言ってくれているんだから。それにきちんと応えないと。

──夢、か……ああ、せっかく頭の隅に追いやったのに、また蘇ってくる……。
 あの悪夢。思い出したくないけれど、内容が内容だったこともあって、鮮明に頭に残っていて……はぁ。

「間違いなく、今までで一番酷い夢だった……何だったのかしら、ほんと」

 病気の時は悪夢を見やすい、というのは良く聞く話で──ルビィもインフルエンザにかかった時は毎回嫌な夢を見るみたいだけれど……ここまで心を抉る様な夢をそうそう見るものなの?

 誰も居ないお城。
……そもそも、何故お城? 小さい頃、お城に住むお姫様に憧れてた時期もあったとはいえ、夢にはっきりとした形で現れるものなの? そういう細かい意志って……?
 それから、あの風。
 思い出すだけで、背筋が凍る思いがする──何もかもを吹き飛ばしてしまう、強くて冷たい風。
 後、それから──


「ダイヤちゃーん、まだ起きてる? 」

「クレーン車……荒んだAqoursのメンバー……沢山のわたくし……ボロボロに崩れた世界」

「え……ダイヤちゃん? 」

「こうして列挙しても、やっぱり意味が分からないわ……」

「う、うそっ!? またうなされてるの!? 」

「はっ──何だ、貴方だったの。まだ帰っていなかったのね」

 思い切り襖が開けられて、夢で聞いたあの音──バンッ! っていう今はあんまり聞きたくない音が聞こえてきたから、少したじろいでしまった。

 先刻皆さんと揃って帰ったはずの千歌さんがどうしてか、わたくしの元を一人で訪ねてきました。持っていた鞄を何故か部屋の外に置いて、そのまま布団の側までやって来ると、あぐらをかこうとして──正座に切り替えて座り、少し不貞腐れた表情で話し始めます。

「何だ、じゃないよ……はぁ。まだ寝てなかったのは──それはそれで良かったけど……ううん、お母さんに寝ててって言われてたのに寝てなかったから良くないのか……はぁ……」

「ちょ、ちょっと、何もそこまで落ち込む必要ないじゃない。後、別に足は崩してもいいのよ? 」

 いつぞやの生徒会室での一幕の様に、やけに不機嫌そうな千歌さん。ため息は──何故かあの日よりも重たい感じがするのはどうしてでしょう。

「平気。こっちの方が何かしゃきっとするし……またぶつぶつ言ってたからどうしたのかと思ったのに……うなされてた訳じゃなかったんだ」

「え──今、わたくしが? 」

「うん。朝と同じ感じだったよ。『風が……』とか『うぐいすばり……』とか、全然意味分かんなかったけど、とにかく苦しそうだった」

「そう、だったの」

 それらは夢で見た内容と合致する。やはり見ていた夢は悪夢で、それにわたくしは苦しめられていた様ね。

「もうね……昨日からずっと目を覚まさないってだけでも凄いビックリだったし、今日になったらウンウン唸ってて──本気で心配してたんだから」

「千歌さん……ごめんなさい。ずっと意識が無かったせいで実感は無いけれど、貴方にも……皆さんにも沢山迷惑を」

「待って。それは、違うよ」

「……え? 」

 穏やかだった千歌さんの雰囲気が、少しだけ尖ったものに変わったのがはっきりと分かりました。

 普段から人の話をあまり聞かないところは彼女の癖ではあるけれど、大事な場面、真面目な時は必ず黙って聞いていてくれたのに──それを遮った……?

 ペースを乱されたことで、少し当惑してしまったわたくしに対して、更に追い打ちをかける様に彼女は告げます。

「ダイヤちゃんは、悪くないよ。実はね──そのことで話があって一人で戻って来たんだ」

「話……って一体? 」

 皆目見当がつかない。わたくしの為だけに、わざわざ皆で帰っている楽しい輪から離れて、もう一度家に戻ってまでしなければいけない話……?


 あっ。

 そこまで考えたところで、千歌さんの言わんとしていることが分かってしまった。


 十二月三十日。あの日、わたくしは──

「学校で会って、面と向かって話してたのに……ダイヤちゃんの調子が悪いことに、気付いてあげられなくて……ほんとに、ほんとにごめんなさい」

 自分の事情で逃げ出したのに。一人で居るのが寂しい、なんていう子供じみた事情で──必要も無いのに千歌さんを引き止めてしまって……


…………は?

「い……今、なんて……? 」

「ずっと顔が赤かったのに、熱があるかもとか、そういうこと全然考えて無かったし、そもそも、様子がヘンだって気付いてたのに……気付いてたのに、そんなのちっとも気にせずにただ話すだけ話して、帰っちゃったから……」

「えっ……ど、どうして貴方が謝るの? 何も悪くないじゃない。あれは単に、わたくしが自暴自棄になって起こした行動で……貴方はそれに巻き込まれただけ」

「それでもっ!! ダイヤちゃんが倒れる前、最後に会ったのは私でしょ!? もし調子が悪いって気付いてたら、こんなことにはならなかったのに……」

「……待って。それは違うわ」

「……えっ? 」

 ある種意趣返しとも言える一言に、千歌さんの動きは止まりました。
 彼女の言っていることは筋は通っているところもある。確かに、あの場で千歌さんがわたくしの異常を指摘すれば、無理をして倒れることはなく、すぐにでも家に帰って安静にしていたかもしれない。

 当然、眠り続けるなんてことも、悪夢を見ることもなく、少し体調を崩した程度で済んだかもしれない。
 けれど……それでも、わたくしは思ってしまいます。

「千歌さん。あの日、貴方が来てくれたこと。そして話してくれたこと。わたくしが倒れたとか、悩みを抱えていたとか、そういう事情を抜きにして、本当に嬉しかったの」

「な──ぬ、抜きにしないでよ! 一番大事でしょっ、それが!! 」

「ええ。とても大事。大事だけれど、もしも一連の事件が無かったとしても──貴方と話せて良かった。そう言いたいのよ」

 わたくしのワガママに付き合ってくれた。
めんどくさいと言いつつ、一緒に居てくれた。
 それは今言った通り、風邪を拗らせていなかったとしても。悪夢に倒れていなかったとしても。あの日の朝、自分の中に眠る迷いが心を乱していなかったとしても。

──嬉しかったと、思うから。

「でも……でもさ、そんなこと言ったって。もし鞠莉ちゃんが学校に居なかったら、ほんとのほんとに……死んじゃってたかもしれないじゃん」

「それは──確かに、そうかもしれないけど……」

「分かってないよ、ダイヤちゃん。私がどれだけ心配してたか、分かってないから、そんなこと言えるんだよ……! 」

「わ、分かってるわ! わたくしが起きた時のあの態度を見ればそれくらい──」

「……分かってない──分かってないよっ!! 」

「ち、千歌さん!? 」

 これまでと打って変わって、こちらを責め立てる口調になったことに驚いて、せっかく掴みかけた会話のペースがまた乱されてしまった。
 本気で嬉しいと思っていたけれど……千歌さんは違う様で。そう考えると、わたくしだけが一人で舞い上がっていたということになって──あの一日のわたくしの精神状態のおかしさが一層際立って、やはり自分が悪かったのかもしれないという気持ちにさせられる。

「ダイヤちゃんが嬉しかったっていうのは、それはそれで良いかもしれないよ? でも、でもさ……私は良くないんだよ! あんなに沢山っ、嬉しいこと言ってもらえたのに、何にも出来なかった! うかれて調子乗って……ほんとにバカだよ……」

「……」

……そう、ですよね。痛い程分かります。彼女の言い分は。

 もしこれが逆の立場だったら、わたくしも責任を感じて、自分で自分が許せなくなってしまうでしょう。
 彼女には全く非はないのに、自責の念を取り除く手段を、わたくしは持ち合わせていない。
 貴方のせいじゃないと言っても、貴方のせいだと言っても、結局彼女は傷ついてしまう。
 そういうことではなく、もっと、優しい言葉……千歌さんが来てくれたから良かった、ただただ、救われたということを分かってもらえるのに適した表現が──見つからない。伝えたいハッキリとした気持ちはあるのに。誰も悪くないって分かっているのに……どうしてもすれ違ってしまう。

 こうしている一瞬も、彼女はわたくしを睨みつけて離しません。ただ、その目は少し潤んでいて、『私が悪いって早く言いなよ、責めなよ』と乞うている様にも見えてしまいます。

 今日の宴の華やかで騒々しい雰囲気と比べると、あまりに黒く、暗い空気が彼女との間に佇んでいて、息をするのも思わず躊躇われる程に重苦しい沈黙がゆっくりゆっくり、流れていく。

 今、一体貴方に何を言えば、この空気は晴れる──


……いいえ。何かおかしい。


 そもそも、千歌さんが一番伝えたいことは、本当にあの日の件の謝罪なのでしょうか?

 彼女なら、それだけの為に戻って来ることはありえるのかもしれない。それに、言葉の中にはちゃんと芯が通っていて、決して嘘を言っているとは思えない。

 だとしても……この部屋に来てからの様子が何か変なんです。
 異変。それはここ数分のやり取り、様子を鑑みるだけでいくつも見当たる。隠していることが『ある』と暗に伝えているかの様に、浮かび上がってくる。

 まず、明らかに普段とは異なる強い語調。
一見わたくしの言動に対して怒って、責め立てている様で、実はこちらに有無を言わせない為にそうしているとしたら?
 それから、敢えて正座を選んだ理由。『ぴしっとするから』なんて言っていて──確かに真剣な話をする際は正座をすること自体、変なことは無いけれど……とはいえ二人きりの──しかも友人同士という間柄。
 まして、あぐらをかこうとしてわざわざ座り直す必要なんて感じられないし……第一、長時間正座したら、余程慣れていない限り足が痺れてしまうのは、目に見えている──
 もし、話がそこまで長くかからないと思っていたとするなら?

 そして何より……自分の鞄をわざわざ部屋の外に置いた理由が分からない。少し気になりはしたけれど、その時は特に意味は感じなかった。
 でも、もし鞄の中に何か隠しているものがあるとするなら? それを見られまいとしていたのなら?

……考えすぎかもしれないけれど。千歌さんがこういう場で取る行動には、大抵意味があったりすることを、この約一年の付き合いで知っているから──どうしても探ってしまいます。
 彼女が一体、何をしたいのか。何を思っているのか。

 小さな違和感と違和感が繋がって、疑いへと形を変えて膨らんでいく……

 何か都合の悪いことでもあって、それを隠しながら、頃合を伺ってわたくしに見せようとしている──と考えると……食器を割ったとか? それとももっと高価な居間の花瓶か……

 ともあれ、言葉の裏に良からぬものがあるとするなら、追求しなければならない──そう思って問いただそうとした矢先に、彼女に先手を打たれてしまった。

「……皆と居ても、内心すごい怖かった……もしこのまま起きなかったらどうしよう、どうしようって、ずっと……ずっと──」

 次の言葉に詰まっている、というより、何とかして言葉を捻り出している様な声色に、疑念が確信に変わりかけたその瞬間でした。
 ふらり、と目の前で正座のまま、まるで支柱を失った建物の様に体がぐらぐらと揺れ始めて──

「気が気じゃ、なかっ、た……」

「え……ちょ、ちょっとっ!? 」

 そのままこちらに倒れ込んできました。
ぶつかる寸前で、なんとか受け止めることは出来たから、怪我はせずに済んだけれど……

「だ、大丈夫!? 千歌さん、貴方、今倒れかけて……」

「あ──わたし、今寝落ちしかけて……やっぱり……二日連続で徹夜は応え──あいたっ、足、しびれてる……」

「……徹夜? 二日連続? 」

「う…………な、何でもないよ。それより、今の話の続きを──」

 つい口が滑った、といった具合の反応。間違いない。何かわたくしに隠していることがある。ここまで来て今更そんなこと……させる訳にはいきません。
 いつまでもやられっぱなしは、やはり性分に合わないから。今度こそ積もりに積もった借りを返すとしましょう。

「それは全然構わないけれど──貴方……本当にただわたくしに、あの日のことを謝るだけの為にここに来たの? 」

「……そ、そりゃ、そうだよ。だって、皆で楽しくしてたのにあんまり暗い話はしたくなかったし? 」

「他に何か、隠していることがあるんじゃないかしら? 」

「え、えっと……そんなの──そんなのないよ! 私は、ただ……ダイヤちゃんが一人で悩みも迷いも全部抱え込んだり、それが重荷になって苦しそうなのが……見てて辛かったから──辛かったのを分かって欲しかったの……! 」

 肩に置いた手を振り払いながら──同時にまた少しふらつきながら、語調をさっきまでと同じくらいに強めて話す千歌さん。

 間違いなく真。
 鋭くて──それでいて素直な一言一言が心に突き刺さっていく。ただ、何かをひた隠しにする様な口ぶりがどうしても引っかかってしまいます。

「ええ、貴方の言葉に嘘偽りは無いことはよく分かるわ。でも……何か腹の中に秘めたまま、どんなに色々言ったところで、心に響くものも響かない……そう思わない? 」

「……確かに、そうかもしれないけど」

「懐に隠し持ったナイフをちらつかせながら、『私は何も凶器は持っていません』って叫んでる──そういう滑稽な状況よ、今は」

 喩えが少々過激すぎた気もするけれど、自分の嘘がバレていることを理解したからか、溜息をついて困った顔──悪事が詳らかになってしまった苦々しい表情──を浮かべて、口を開きました。

「……全部すっきりさせてからじゃなきゃ駄目だって思ってたのに」

「やっぱり……何かあるのね。別に怒ったりしないから、素直にものを」

「……もしヘンだって思っても──笑ったりしないでね? 」

「…………笑う? 」

 ま、壊したものによっては、父と母がどう言うかは分からないけれど──と言う前に、千歌さんから何やら不可解な一言が。
 この状況で笑うって……どういうことかしら?襖の向こうの鞄を取りに行った彼女の背中を見ながら、その言葉の意味するところを考えてはみたものの……さっぱり分からない。

 しばらくして、彼女が持ってきたのは割れた食器の残骸の入った袋でも、花瓶の欠片でもなく、プレゼント用の包装が施されたピンクの紙袋でした。

「謝りたかったっていうのも確かにあったけど……一番の理由はこれが渡したかったから。チカからの、誕生日プレゼント」

「誕生日……プレゼント? じゃあ、誕生会で渡してくれたあれは──」

 そうでした。あのピアスは『メンバー全員』から贈った物で個人からの贈り物という訳では無かった……でも、どうして千歌さんが?

「はい。開けてみて。もし、もしもヘンでも……笑わないで、ね? 」

 不安そうな顔で、紙袋を見つめる千歌さん。そんなに心配になる程の何かがあるのかしら? 少し手元で躊躇った後、恐る恐るそれを渡してきました。

 受け取った袋は軽い──衣類の類いでしょうか。それとも、ピアスではないアクセサリー……髪留めとかネックレスとか、そういう物だったり──

「は、早く開けてよ! 何か緊張してきたから……」

「緊張って……貴方がそんな気持ちになってどうするのよ……」

「だって、無駄に焦らすから〜……」

 ま、こうして開けないままでいる意味も無いので、意を決して──という程では無いけれど、開けてみましょうか。

「あら、これは……」

 中身は赤いマフラーでした。所々ほつれかかっている所もあるけれど、それでもマフラーとして使うのには申し分の無い出来ですね。

 とりあえず、取り出して広げてみましょう。

…………広げて。

「……何だか、少し大きい様な」

「はぁ……やっぱりそうだよね〜……はぁ……」

「やっぱり、というのは……つまり、サイズを間違えてしまったってこと? 」

「うん……二日徹夜したって、さっき言ったでしょ? 元々、何か手作りの防寒グッズを渡したいなって思ってたんだけど……あの日倒れちゃった後、何もしてあげられなかったから、せめてチカに出来ることをしようって、急ピッチで作ったら──」

「途中で集中力を欠いて、大きく作りすぎてしまったという訳ね。ま、貴方らしいと言えば貴方らしい──って、そういえば貴方、裁縫は苦手だって前言っていなかったかしら? 」

 細かい作業は得意ではなくて、Aqoursの衣装作りの時も、率先して手伝ったりする様子は無かったのに……。

「ふふん、つい最近なんだよね、裁縫の練習始めたの♪ 」

「あらまぁ、どういう心変わりがあったの? 」

「……自分の物は自分で直せる様になりたかったんだよね……カーディガンとか、コートのボタンとか、立て続けに壊しちゃった時期があったから……あはは」

「高校生にもなって走り回ったり、取っ組み合いなんてしているからでしょう!? もう少し落ち着いてさえいればそんなことにはならないのよ? 」

「ううっ、分かってるけどさぁ、体が動いちゃうんだよ……追いかけられたりすると」

「はぁ……始末に負えないわね……それで、裁縫の練習を始めて、最初に完成させたのが、これって──なかなかセンスがあるんじゃない? 千歌さん」

「えっ──えへへ♪ そうかなぁ……それ程でもないよぉ……ヘヘ♪ 」

 しまった。嬉しくてつい褒めてしまったけれど、これじゃまた調子に乗って、無茶苦茶なことを言い出すに違いありません……飴と鞭。一度諌めておくべきですね。

「まぁ……欲を言うと、途中でちゃんと間違いに気付いて、正しいサイズで作って欲しかったけれど──あら、この刺繍、何の花なの? 」

 両手で広げるのは無理があったから、床に置いて全体を見てみると、拳一個分くらいのサイズで花のワンポイント刺繍が施してあった。
 白い花で、五枚の花びらで……この情報だけだと当てはまる花が多すぎる……。

「あれ、ダイヤちゃん知らないの? この花」

「知らない──というか、白い花なんて例を挙げればキリがないでしょう? ただ、しっかり考えてみれば分からない訳では……ない、はず……」

「へ〜、あんなに身近な花なのに……分かんないんだ〜……ふふ♪ 」

悩んでいるわたくしを見て、くすくすと笑って──馬鹿にしているの!?

「しょーがないなぁ……これはね──なんとみかんの花なのだ♪ 」

「……はぁ」

「反応薄っ!? 頑張って縫ったのに──まぁ、刺繍自体はしまねぇに殆ど任せっきりだったけど……」

「だって、もっと、何かこう……捻って来るのかと思っていたら普通にみかんだったなんて。拍子抜けだわ、全く……」

「その言い方、みかんが可哀想だと思わないのっ! 」

「可哀想って……意味が分からないわ!! 」

「はぁ……ダイヤちゃん。チカがただ、みかんが好きだからその花を刺繍に選んだって思ってない? 」

「え? そうじゃないの? 」

「ちっちっちっ……花言葉だよ、花言葉♪ 」

「はい? 」

 花言葉──そんな高尚な単語が彼女の口から出てくるなんて思いもしていなかったから驚きを抑えられませんでした。
 でも、作詞を通じてそういう詩的な表現を学んでいたとしたら、決して驚く様なことではありませんか。

「あのね、みかんの花言葉は……」

「……花言葉は? 」

「…………」

「ちょっと、どうしたの? いきなり黙って、もしかして内容を忘れたとか? 」

「そういうことじゃないけど……その、良く考えたら恥ずかしいなって……」

「恥ずかしい? 一体何が? 」

 意気揚々と説明しようとしていたのに、いざ言おうというところで縮こまって……本当によく分からないわ。

「……みかんの花言葉はね、『純潔』っていう意味があるんだ。だから……ダイヤちゃんにピッタリだなって思って、マフラーに付けたの。花言葉に当てはまってるっていうのもあったけど──うぅ……ほんとに言わなくちゃダメ? 」

「そんなに言い淀む様なことなの? ま、別に貴方が言いたくなかったら言わなくてもけれど……」

 といいつつ、内心何を言わんとしているか気になってしまうのは──そんな好奇心を悟られたくないから、わざと逆のことを言っているだけで……我ながら子供っぽい、素直じゃないとは思います。
 言わなくていいの一言で実際本当に会話は止まってしまったんだから、意地を張るのも考えもの、ですね。
 そんな面倒なわたくしにも真正面から向き合ってくれる千歌さんだからこそ、一緒に居て心地良いのかもしれないけれど。
 
「……綺麗だと思ったから。その白い花みたいに全然汚れのない、どんな時でも凛としてるダイヤちゃんが……」

 今だって、わたくしが作ってしまった沈黙を破るのは、結局千歌さんで──

「──えっ? 」

「だ、だから……恥ずかしいって、言ったじゃん……もう……」

 千歌さんの顔がみるみるうちに赤くなっていきます。まるで熱に浮かされているかの様に。無論原因は熱ではなく──わたくしの顔まで熱くなっているのは、その熱がうつったからという訳でもない。 

 ただ──『綺麗』って、言ってくれた。
そのことに、わたくしも何だか嬉しくなって──熱くなった頬が綻んでしまいます。

「……千歌さん、ありがとう♪ 」

「うぇっ、あ、え、えっと……う、うん。どういたしまして……? 」

「わたくしの為に、頑張ってマフラーを編んでくれたこと、それから……蜜柑の花に喩えてくれたこと──すごく嬉しいわ♪ 」

「う、嬉しい……? ほんと? 」

「ええ、本当よ」

「……そっか。私も、嬉しいな。そう言ってもらえると……」
 
 『嬉しい』という言葉は、鋭さは無くとも心の中に静かに沈み込んで、一層嬉しい気持ちにさせてくれる。それは──


 ああ……ここまで話してようやく気が付きました。

 千歌さんは、こちらが考えている以上に、わたくしを想ってくれている。自分までもが辛くなってしまう程に気にかけて、挙句徹夜までしてプレゼントを用意してくれたのは──彼女の強い想い故のもの。

 どんな時でも素直に気持ちをぶつけてくる──あるいは、単に周りの誂え向きの自分を作るのが苦手なだけかもしれないけれど。
 それでも、必要ない場面で頑固になってしまったり、いざという時に自分を貫き切れないわたくしとはまさしく正反対の彼女は──

 いつの間にか、わたくしにとって凄く大事な存在になっていたことに──今やっと気付くことが出来ました。

 ずっと抱いていた感謝とも違う。言葉では言い表せない──けれど何よりも価値のある気持ちが、胸の中から体全体に溢れ出してくる。その証拠に、部屋の暖房が暑く感じてしまうくらい、心も体もあたたかい。
 あたたかくて──気持ちいい雰囲気に少しだけ酔わされてしまっているのかしら。


 どうしても、高鳴る鼓動が収まってくれません。





 悪夢の話。
 追いかけてみたい夢の話。
 この一年間で得たものの話。

 千歌さんと一緒に居るのが嬉しい話。


 悩みを抱えていたことを両親から聞いた話。
 夢を追いかけることの話。
 この一年間で得たものの話。

 わたくしと一緒に居るのが嬉しい話。


 千歌さんが家からの電話で呼び出されるまで──年始ということで、まだかなり忙しいみたい──多くの言葉を交わし合いました。


『悪夢、って良く言うけどさ。そもそも夢ってこうなりたいっていう自分の気持ちが現れたりするものだから――きっと、その夢も悪いことばっかりじゃなかったと思う……なんて、ネットの受け売りだけどね、あはは……』

『そんな、挑戦すること自体が悪いことだっていうなら、チカなんてもう大悪党だよっ!? だって、浦女はもう廃校が決まってて、μ'sみたいにそれを救えるかも、っていう希望もない中で、Aqoursを立ち上げちゃったんだから……ただやりたいから──やってみたいと思ったから、やるって、全然いけないことじゃないと思うな』

『いいじゃん!! すっごく似合ってると思うっ!! 絶対向いてるって──そっか……うん。私だけじゃない。皆もきっと応援してくれると思うよ、ダイヤちゃんの夢……! 』


「……ほんと、あの子って良く喋るわ」

 こちらの出来る、出来ないや好き、嫌いなど一切耳を傾けず、とにかく言いたいことを言う。

 考えすらしなかった発想が次々と飛び出してきて、その度に意図せず素っ頓狂な声がせり上がってきてしまったけれど──わたくしが思いつかないことを教えてくれるからこそ、二人が正反対だからこそ、それらが不思議と深く、大事な意味を持つ。

 そして、今度はその言葉が、想いが……一つ一つ温度を持ってわたくしを勇気づけてくれる。

 燃える焔の如く赤いマフラーを見て、今度こそ決心しました。

 子供のワガママで構わない。

 やりたいから、やるんだ。
 叶えたいと思ったから、挑戦するんだ。


 誰も隣に居ない。何も持っていない。正真正銘ゼロからのスタートで、遥かに大きな夢に立ち向かった彼女に比べれば、わたくしの決意なんてちっぽけなものかもしれない。それでも、彼女に貰った沢山のものを無駄にしたくはない。

「……いつでも、白い蜜柑の花の様に純潔であれ、凛々しくあれ──か」

 一人の部屋に響くその言葉は、ちっとも具体的でなく、手元にある大きすぎるマフラーの様に、わたくしにとって身に余る程の──少々くすぐったくなる表現ではあるけれど。

 迷いという名の心の黒い汚れは、溜息に乗せるまでもなく、完全に消え去っていました。


◇ ◇ ◇ ◇


 なんて自分の中で区切りを付けたつもりでも、ほんの僅かな揺さぶりでまた迷いが生じてしまうのだから。本当に──自分の弱さには呆れてしまいます。


 こればかりは、消そうと思って消える想いでも無いし、かといって伝えたところで……少し遅過ぎる。そう考えると前にも後ろにも進めず、雁字搦め。どうすることも出来ずにただただ迷い続けるだけ……。

 ねぇ、千歌さん……? わたくしと正反対の貴方なら、この感情とどう向き合うの?


『お誕生日おめでとう。このマフラーで、ちょっとでもダイヤちゃんをあったかく出来たら嬉しいな。 千歌』


 マフラーが入っていた袋の底にあった、一枚の紙切れ。

 たったそれだけが──いいえ、それこそがわたくしの心に張り付いて、どんなに剥がそうと試みても離れてくれない、『新たな悩み』そのものになってしまった。

 蜜柑の花と共に贈られた貴方の想いに、わたくしはどう答えれば……


──そもそも、答えるべきなのか、と。



『非対称マフラー(後)』



◇ ◇ ◇ ◇


 ずっとあったんだよ。一番近く。だから、後は取り出すだけだった。それくらい簡単なこと。マフラーを編むみたいに、ゼロから何かを生み出す訳じゃない。そこにあるものを、ただ手に取るだけだったのに。

 ずっと、あったんだよ……? ずっと、ずっと……


──あったじゃない。過去形なんかにしちゃいけない。過去なんかに出来ない。あるんだ、確かに今も。

 春が来たって……夏が来たって秋が来たってまた冬が来たって……絶対消えない、消したくない想いが──

「……分かってる。もう遅いって。でもね……そうだとしても、どうしても言いたいの」

「……千歌さん、貴方……」

 不釣り合いなんて、いつもふふって笑い飛ばして。

 でも、たまに見せる未熟なところも可愛くて。

 どんな無茶振りにだっていつも本気、真正面から向き合う。

 そんな貴方とは、非対称な私から──


 今、『ある想い』を伝えます。




『有るポケット』


 三時五十九分。ということは、ダイヤちゃんを待ち始めてからまだ三十分も経ってない……いつ来るのかな、ダイヤちゃん……。

 もう三月だっていうのに、全然春の気配は感じられないくらい今日も凄く寒い。相変わらず、列島を覆う大寒波は東日本に居座り続けているってお天気お姉さんの人は残念そうに言ってたけど──そんな顔するならこの天気を何とかする方法を考えて欲しいよ。お天気お姉さんなんだし。

「はぁ……」

 んな訳無いじゃん。お天気お姉さんが天気を変えられるなら、予報なんて要らないから。最も、天気を自由に変えても変えられなくても、『今週も日中寒い日が続きます……』なんて言われるのはごめんだけど。

 どんより曇った空を見上げて溜息を吐くと、昨日までと変わらない、真っ白な息がぼうっと広がった。ああ、寒いな……朝からぴゅうぴゅう吹いてた風は、この時間になっても止まないで、吹き付ける度に体も心も冷たくしてくる。
 それが嫌で。辛くて──何より凄く、悔しくて。コートのポケットに手を突っ込んだ。左ポケットの中で熱を放ってるカイロを握りしめて、右ポケットの中で──『私の気持ち』をそっと撫でる。

……大体、あんなに早く来たんだったらその分早く行ってくれればいいのに、冬。
 大事な卒業式なんだから、咲いてくれても良かったのに、桜。

──私が今もたれ掛かってるこの桜の木。去年の卒業式の日には確か咲いてたのにな。何で今年に限って、こんなに枯れ枯れなんだろう。
 一人でこうして裸の木を見てると、何だか余計に寒く感じて──余計に寂しい。

 午前中いっぱいで終わった卒業式の後、そのまま体育館を使って、浦女の生徒皆で卒業パーティーをしたのがつい三十分くらい前のことなのに、今は歩く音一つ聞こえてこないから、もうこの世界には私とこの枯れた木しか生きていないんじゃないかって気になってくる。
──枯れた木もちゃんと生きているって言ってたのはダイヤちゃんだったっけ。確か、次咲く日に備えて、木の内側では常に栄養を巡らせている──らしい。

 ダイヤちゃんも……準備、してるんだよね。一昨日最後に生徒会室に行った時、見覚えの無い教科書を持ってたりしたのも、きっと準備なんだろうな。今先生達に呼ばれて話してるのだって、多分色々、聞いておきたいことがあるからだろうし。

 だったら……本当に、良いのかな。私が伝えたいから伝えるなんて。そんな勝手が──通じるし、真っ直ぐ受け入れてくれる相手だからこそ……なんだけど。
 そもそも私自身、勝手なところがある(勝手に人を巻き込んだり)って、梨子ちゃんとか果南ちゃんに言われたこともあったけど……ちゃんと考えてるからね? 意外と。
 この子にはどこまで言っていいか、とか、どういう冗談が通じるか、とか。
……それが結局、チカが考えてたのと全然違って、失敗しちゃうことは結構あったけど──少なくともダイヤちゃんは、多少の勝手なら受け入れてくれるっていう、自分の中で不思議な自信があって……

 それでも、なぁ……良し悪しなんて関係無く、ダイヤちゃんはもう……行っちゃうんだから。だったら、いいんじゃないかなって気もしてくる。
 だって……充分、楽しかったんだ。Aqoursで一緒に過ごせて……特に冬に入ってからは良く話す様になって──うん、懐かしいな。このコートが似合うって言ってくれた日……あの日から少しずつ、生徒会室に通う様になったんだよね。

 初めは何となく、話したいなって思った時に行くくらいだった。その度に、ぎょっとした顔と『また来たの? 』の一言で迎えてくれて……してやったり、なんて思ってたりしたのが──段々変わっていった。

 変わっていった、私の中の『何か』。つい最近までずっと分からなくて……やっと分かった、名前と──その理由。
 いつ、どこをきっかけに、なんて言うのはきっと無くて。本当にいつの間にか、気付かない内に芽生えていたんだと思う。
 そんな芽生えた気持ちは、私の意思に関係無く──寧ろ、寒さが厳しくなればなる程、それに釣られて余計に大きくなって──?

……違うな。私がそうしたいと思って、ダイヤちゃんが応えてくれたから。いつもそうだったから……みるみる膨らんでいったんだ。意思に関係無いなんてありえない。私は……望んでたんだ。もっと近く、隣に行きたいって──
 いつしか、いつも。

 お弁当を一緒に食べる様になった。生徒会の雑務の手伝いをする様になった。二人で休日に遊びに出掛けたりもした。

……誕生日プレゼントを贈った。自分の夢の話までし合える関係になった。ダイヤちゃんちに私が行って、色々なお稽古の体験もさせてもらった。バレンタインデーはチョコを贈りあって──ダイヤちゃんの手作りの抹茶チョコ、美味しかったな。

 毎日の様に言い争ってた真夏の毎日とは正反対に、真冬の毎日は楽しくて、優しくて。その優しさを浴びる度に、楽しさを噛み締める度に──私達はどんどん仲良くなった。秋を飛ばして急に来た今年の冬みたいに、私達の距離も急に縮まったから。流石のチカでも、分かっちゃったんだよ。

 冬が進むにつれて、鈍感な私でも気付くくらい、頭も胸もいっぱいになって。
 冬が終わりに近づくにつれて──もう抑えられないくらい、頭も胸もいっぱいいっぱいで。


──だから。ポケットの中にその全部を詰め込んだ。私の中の、何もかも全部を。ダイヤちゃんに伝える為に。

 冬が嫌いなチカが冬を好きになったのは……
 すぐに風邪をひいちゃうチカがどうしてか、今年は風邪をひかなかったのは……
 こんなに寒い冬だったのに、何故か寒くない──どころか、何だか暖かかったのは……

 全部全部、何から何まで──大好きなダイヤちゃんのおかげなんだ。


 とにかく、内浦を離れる前に伝えなきゃって思ったから──ひたすら、夢中で書いた。必死でペンを動かすスピードは、きっと作詞をする時の何倍も早かったと思う。それくらい沢山の想いが私の中にあって……一度気持ちのふたを開けたら止まらない、苦しくなっちゃう程流れ出して──溢れた分だけ言葉に、文字になってどんどん増えていくのが、無我夢中でペンを走らせる最中でも何だか凄く嬉しかった。

 でも……それなのに……書き終えた途端にそれはみるみる冷たくなっていって。今じゃほとんど暖かさを感じられなくなってる。どうしてかって──そんなの、分かってる。
 左ポケットのカイロだって、今はどんなに暖かくたって……今日が終わる頃には冷たくなっちゃう。
 同じ様に、冬が終わる頃には温度が無くなって、行き場も無くなる。文字通り行き場の無い想いになる、右ポケット。もしかすると、まるごと無くなっちゃうのかもしれない。伝える相手が居なくっちゃ、いくらそこにあったって何にもならない──ああ、作詞のネタにはなるかもしれない……失恋ソング? それとも旅立ったあの人を想う歌とか──はもう『CYaRon! 』で歌ってたよね……

 「……はぁ…………何考えてんだろ、私……」

 さっきより大きく長く、ため息を吐く──勿論、モヤモヤした気持ちはちっとも晴れない。その代わりに自然と力が抜けて、肩にぐっと力を込めて抵抗してた寒さが私を貫いてきた。おまけに、追い打ちをかけるみたいに風までぴゅうぴゅう吹いてきて、体の芯からぶるっと震えさせる。

……寒い。無茶苦茶寒いよ。ぶかぶか(の割に案外暖かい)コートですら歯が立たない、かなり厳しい寒さにがたがた歯を震えさせると、白い息が口の隙間から少しずつ漏れて……雪みたいだなって一瞬思ったけど、実際自分の目で雪が降ってるのを見たことないから、全然見当違いのことを考えちゃったみたいで少し恥ずかしくなる。この一年間で、何回にわか知識を持ち出して、何回皆に突っ込まれたことか──

『その……今だからこそ言えるのだけれど……貴方には、感謝してるの』

 まさに見当違いの──まさかダイヤちゃんが、私に感謝してるだなんて、本当に思いもしてなかったから……正直、その場で飛び跳ねそうになってたな、あの時は。

 勝負に勝った、負けたのちゃんとしたやり取りがあったとはいえ……結構無理やり入ってもらったところはあったから(鞠莉ちゃんに『あのダイヤを勧誘出来たら見直してあげる』なんて言われたから、もう火がついたよね……! )、それが感謝してるとか──Aqoursのことも好きになってくれたとも言ってくれたし……凄く嬉しかった。

 少し恥ずかしそうに──でもとっても楽しそうに話すダイヤちゃんが、私は好きになった──んだと思う。やっぱり。

……いや、どうなんだろう。きっかけは分からないにしろ、私、ダイヤちゃんのどこが好きなんだろう……?
 大人びたところ? たまに見せる可愛いところ? ほんとはあんまり強くない──のは、良いところではないのか……でも、いいところだけ好きって訳じゃない気がするし……うーーん…………。

 もしも、もっと早くに自分の気持ちに気付いてたら、そういう色々をちゃんと考えられてたのかな──



…………あっ

 ふとよぎったその『もしも』は──どこまで行っても『もしも』でしかなくて、今更考えてもどうしようもない話なんだろうけど。

 それでも、一度それを考えちゃったから──ほんのわずかでも、あったかもしれない可能性の先を思い描いちゃったから。

……こういうのってきっと、何よりも質の悪いことなんだって、『もしも』を考えながらも思っちゃう。
 もう終わりが近づいている一つの季節を目の前にして、過ぎた季節の思い出を振り返ったり、次の季節に何が起きるか予測したりしてた今までよりずっと……必要の無い後悔と想像だって、そんなこと百も承知で──

 それでも私は止められない。『今有るもの』から目を背けて、『今無いもの』に目を向けるのを。

 もしも、ダイヤちゃんがAqoursに入ってすぐ、仲良しになってたら?

──どうなってたかな。もしかしたらここまで気持ちを引きずることはなかったかもしれない。

 もしも、もう少し早くからダイヤちゃんをAqoursに勧誘してたら?

──どうなってたかな。入る時期が早まれば、それだけ仲良しになるのも早かったかもしれない。

 もしも、冬休みに入る前にダイヤちゃんに告白してたら?

──どうなってたかな。返事がOKなら……大晦日のあの事件は未然に防げたかもしれないし、一緒に居られる時間はずっと増えてたかもしれない。
 NGでも──ダイヤちゃんは多分、接し方を変えたりはしないだろうけど、倒れちゃうのは防げなかったのかな。チカはあの事件の直接の原因と関係無いし。


 もしも、もっと早ければ。
 私がもっと早く言えれば。伝えられれば。書ければ。気付けば。考えれば。

 こんな──学校は卒業して、いよいよ内浦からも離れるなんて時に、こんな……

「…………やっぱり、遅すぎるよね……」

 『もしも』をいくら考えたって、遅い。
 けど、『有ること』を伝えるのにも、遅い。

 どっちにせよ、もう遅い──遅いんだよ。

……それにしても、ダイヤちゃんも遅いな……何だか二時間も三時間も待ってる様な気がして、鞄の中の携帯の時計を見た。四時十二分……なんだ、三十分も経ってないじゃん。
 まだ冬真っ盛り(三月だけど)とはいえ、流石に日の沈む時間はそこまで早くないから、灰色の雲の切れ間からきらきら光を放ってる太陽も、しばらくは私を明るく照らしていてくれるはず。まぁ、ただ照らしてるだけで、ちっとも暖かくはないんだけど……。

 もしもこのままダイヤちゃんが一生来なかったら? 私を避けて正門じゃなくてグラウンドの脇を抜けて帰ってたりしたら──なんて……馬鹿みたい。そんな回りくどいこと、する訳無いよね。
 いつも真面目で、何事も真剣勝負をモットーにしてる様なダイヤちゃんのことだから、校舎を出て私を見つけたら真っ直ぐこっちに向かってきて、目の前で一言いちゃもんか嫌味を突きつけてくるのかな?

『な、なんで居るの、貴方……? 』

『こんなに寒い中、良く待とうと思ったわね……』

『はぁ……いつもは、わたくしが待ってばかりだったけれど──ふふ、今日に限っては逆みたいね? 』

──なんて、言ったりしそうだよね。多分……

……

…………

──全部、もう聞けなくなるんだ。離れ離れになったら、あの声は全部揃って昔の思い出になって……今みたいに思い出すことしか出来なくなる。話したくなったから話すなんて、軽い気持ちでは届かない様な距離。
 せっかく近づけたのに──生徒会室と私の教室との間の距離くらい、近い様で遠かった心の距離を少しずつ、少しずつ近づけていったのに……結局、一番近くまでは届かなくて。すぐ側には行けなくて。見えない何かが、もう時間切れだって言ってるみたいに、一気にぐっと引き離される。

 あと一歩、踏み出せていれば。あと一週間でも早かったら……届いていたのかもしれない。手を伸ばしてもぎりぎりで届かないところから、お互いが手を伸ばせば、指同士が触れられるところまで来れていたのかも。

 でも私は……ダメだった。くよくよ迷ってる内にどんどん時間が経って──一度封を開けたカイロが、過ぎてく時間と一緒にどんどん暖かくなくなるみたいに──あんなに夢中で書いた想いから熱が引いていく……もう一度右ポケットに手を入れて、確かめようかと思ったけど──怖くて右手は動かせなかった。
 それなのに、私の頭だけはぐるぐる、回転が止まってくれない。考えようとしてないのに──考えないようにしたいのに、どこまでも後ろ向きに沈んでく。『もしも』の沼──底の無い疑いの沼に、ずぶずぶと。
 本当に伝えることが正しいのか、とか。本当に私は気持ちを伝えるべきなのか、とか。そういう私自身のやろうとしてることへの疑いが、『好き』の代わりに今度は溢れ出して、その大事な気持ちまで呑み込もうと……ううん、呑まれつつある。私──やっぱりダイヤちゃんに告白しない方が良いんじゃないかって、思っちゃうくらいには……。

 だからなのかな……こうして待っているのが、段々辛くなってきてる……寒い。今までよりずっと寒い。それに……暗い? 空を見上げると、いつの間にか太陽は雲に遮られていた。何の役にも立っていないと思ってたけど、いざ太陽の光が無くなると──急に冷え込んできた様な気がする。何となく。
 左ポケットに手を突っ込んで(こっちは当然、まだ暖かい)、手持ち無沙汰の右手でもう一回、鞄から携帯を取り出す。四時二十分。三十分どころか、さっき画面を見てから十分も経ってない。おかしいな、体感では最低でも二十分くらい経ってたはずなのに……。

 一人で居るから? 考え事をしていたから? 人を待っているから? 時間が長く感じる理由はいくつか知ってる──私自身、そういう経験は今まであったから。

 あったから、分かる。分かってる……何でこんなに時間が過ぎるのが遅いのか。今思い浮かべたどれにも当てはまらない、その理由は──きっと、ライブの終盤で味わうあの感覚と同じものだと思う。
 終わりが近づけば近づく程、時が経つのがゆっくりになる不思議な感覚。

 もっともっと歌っていたい、踊っていたい……そんな気持ちはスクールアイドルをやって、ステージに立てば多分、誰もが抱くもの。事実、Aqoursの皆もそう思ってて……でも、その上で覚悟を決めて、九人でのラストステージに臨んだ。
 私も、もっと九人でやりたかったけど、終わるのは仕方ないことって割り切ってた──反面、終わるんだって、どんなに頭で分かっててもやっぱり、ちょっとだけ嫌だったから。少しでも長く続けば良いなって、願いながら体を動かしてたら、自分以外の周りの全部がゆっくり進んでる様に見えた……なんて、勿論、そんなのただの錯覚でしか無いし、どんなにゆっくりになったところで、終わるってことに変わりは無かったから──そういう感覚もあるのかなって、何となくふわふわした感じだけが自分の中に残ってたけど……。

 今、同じ様な感覚にもう一度陥ってみて思う。

 一分一分が、重い。緩やかに進むこの感じが、凄く辛い。

 楽しみで仕方ないこと──遠足とか、それこそライブとかを次の日に控えた夜は上手く眠れない。
 休日、友達と出掛ける約束をして、待ち合わせ時間より早く着いたのに、相手がまだ居なかったら、来るのを待ってる時間が長く感じる。
 そういうのとは全然違う。だって、そういうのは楽しいことが目前に控えてるから──楽しい気持ちが、感じる時間をゆっくりにしてる。

 だから真逆で、思う様に進んでくれない時間がもどかしい。
 告白したってしなくたって。柄にもなく色々と考えたって考えなくたって。カイロが暖かくたって、『想い』の温度が無くなったって。
 私に関係無く、お構いなく、ダイヤちゃんは旅立つ──その終わりは避けられないんだから。

 避けられないのに、それでも嫌。まだ一緒に居たかったから。

──一緒に居たいなんて、私の勝手だって……分かってる。そんな当たり前のこと。それに、勝手だとしても、そう思うこと自体は悪くないはずでしょ?

──それって、チカの勝手を受け入れてくれるダイヤちゃんの優しさに甘えてるだけ……確かにそうだけど……

──でも、もう居なくなる……だから、せめてその前に伝えたいって……

──今伝えたら、せっかく自分の一番したいことを選んだのに、余計なことが邪魔になるだけ。私の勝手で、ダイヤちゃんの『初めての勝手』に水を差すなんて……絶対駄目だ。
 自分の中に昔からあった『夢』をどうするか、迷ってたダイヤちゃんの背中を押した張本人が、今度は肩を掴んで引っ張る……ありえないことだよ。そんなの。

……そっか。初めから駄目だったんだ。早ければ? 遅かったから? ちっとも関係無い。ダイヤちゃんの為を思えば、歩み始めた足を止めて振り返らせる様なこと、しちゃいけないに決まってるんだから。

 なのに……自分が自分が、って。ダイヤちゃんだから良いんだ、って。これじゃただの自己中だよ。『好き』なんて伝えられない。伝える資格は──きっと無い。

 だって、『もしも』何も考えないで告白してたらどうなってた?
 それで『もしも』OKしたら──どんなに私が気を遣っても、ダイヤちゃんが100%集中して勉強出来るか……確信は無い。
 じゃあ、『もしも』断ったら──


……断ったら。断られるのは、怖いな──違う、ダイヤちゃんのことを考えないと。私のことは関係無い。私なんて、これからのダイヤちゃんにとって必要無いもの。要らないものだ。だから、何も伝えないでただ送り出すだけでいい。

 いいんだ、それで。

──今度は右手が真っ直ぐポケットに向かってくれた。躊躇いなんてない。ダイヤちゃんの為だったら……こんなの、要らないよ。

 ぐしゃ。ぐしゃぐしゃ。ぐしゃぐしゃぐしゃぐしゃ。ほんとに馬鹿みたいだよ。愚者愚者。
 一人で舞い上がって、一人で諦めて。気付こうと思ってれば気付けたのに。ダイヤちゃんのことも考えてればすぐに分かったことなのに。愚者愚者。

 ポケットの中で握り潰したそれは、もうただの紙でしかない。取り出してみると──ほら、紙くずと同じ。作詞が上手くいかなくて丸めたルーズリーフと何も違うところはない。どんなに言葉を書き込んだって、上手く形にならなかったら──そもそも見せる相手が居なかったら、何の意味も無い。

……ポイ捨てしたら……怒られちゃうか、ダイヤちゃんに。鋭い目つきでじっと睨んでくる顔を想像して、ポケットの中に紙くずを戻す。

……

…………今、何時だろう。

 四時二十四分。たったの四分しか経ってない。

「……は、ぁ…………」

 あんまりにも時間が過ぎるのが遅過ぎて、この日一番のため息が自然と出てきた。
 いつもと変わらず、ぼうっと白い息が広がってく。不満とか嫌な気分を込めて吐いてるはずなのに、出てくる息は白いんだからほんとに不思議だよ。

……ダイヤちゃん、まだかな。


──って、何で待ってるんだろう。私。
 もう伝えることも無いのに。ぐしゃぐしゃにしたのに、何で。後は二日後の見送りの時に一言二言話すだけ、なのに。何で、どうして私はまだ待ち続けてるんだろう。

 寒いだけなのに。辛いだけなのに。何で木に寄り掛かったまま、動けないんだろ。この木みたいに、根っこでも生えちゃったのかな、なんて……くだらない。そんなの、ある訳無いじゃん……。


 ぐしゃぐしゃになった私の気持ち。何が何だか、どうすればいいのか……それがもう、自分でも分からない。
 何が大事なのか……ダイヤちゃんにとって。私にとって。

 分からない……もう分からないよ。そもそも、内浦から居なくなっちゃうのが嫌で──だからせめて、気持ちだけでも聞いて欲しい……って思ってたけど、ダイヤちゃんのことを考えられてなかった私に、想いを打ち明ける権利は無い。

……

…………

 そこまで分かっていて──やっぱり分からない。未だにダイヤちゃんを待ち続けてる理由。『ここまで待ったんだから、会わないと帰れない』なんて変な意地は勿論無い、もっと別の何か、が──


「あ……貴方、どうして居るの……? 」

 あるのかもしれない。そう思った丁度その時……声が、降ってきた──っていうことは、今度はいつの間にかしゃがみ込んでたみたい。自分が何をしたか、ついさっき何を考えていたか、記憶までぐしゃぐしゃ、曖昧になってる。そんな私と枯れた桜の木しか無い世界に、ずっと待ち望んでいたはずの声がようやく響いてきたのに……顔を上げられない。ポケットに手を伸ばせなかった時と同じ、怖くて体が固まってる。

 あんなに考えて、あんなに自分を責めて……それでも何一つ決められなかったのに──どんな顔をして向き合えば良いの? どんなことを言えば良いの?

「…………ない」

「それにしてもこんな──寒い中、よく一人で待って……」

 下を向いたまま小さく呟いた言葉は、ダイヤちゃんには届いてないみたい。

「……ん、ないよ……っ」

「ち、千歌さん……? 」

 顔を見ずに言った言葉も、ダイヤちゃんには届かない。

「分かんないよ……何も、分かんない、何も、何も何も何も……っ! 」

「……貴方……ずっと、泣いていたの? 」

「……えっ? 」

 泣いてた? 誰が? 私? そんな、私泣いてなんか……

「ちょっと、こっちに顔を向けて──ほら、やっぱり泣いてたんじゃない。目の周り、凄い腫れてるわ」

 しゃがみ込んで下を向いてる私の顔を、同じ様に屈んで覗いてくる。目が合うのが怖いから、なるべく地面の端の方を私は見てるのに、そんなのお構い無しにじっとこっちを見つめるダイヤちゃんは──口を固く一の字に結んだ真剣な顔をしてて……どんなに目を逸らそうとしても、視界の端っこに映っちゃう。
 駄目だよ。映っちゃ、駄目。手で顔を覆って──うそ、濡れてる……私の手。これ、私──泣いてた? そんな、私が? どうして。どうして……泣くとこじゃない、泣くとこなんて無かったのに。

 じんわりと、目の奥が熱いことに気付いた。そしたらもう、止まらない。『好き』が心から溢れ出すのと同じ。それと、後ろ向きにどこまでも沈んでくのとも同じ。

 ぐしゃぐしゃの頭でも──自分のことなんて何も分からない頭でも、涙の意味は分かったから……ぽろぽろ零れてくる。ダイヤちゃんが今どんな顔をしてるか、ぼんやりしか見えないくらい、涙が出てくる。
 心配してくれてる……のかな。何も言わないで、ただ近くに居てくれる。それが今はただただ嬉しい。ああだこうだ、自分で嫌になるくらい考えたけど──考えてたことも勿論大事ではあると思う。ただ、そうだとしても、ダイヤちゃんが傍に居るのが嬉しくて……

 逆に……傍に居ないのは──これから先、居なくなっちゃうのは……寂しいから、ずっと目を背け続けてた。でも、どんなに誤魔化したって、寂しいものは寂しい。
 ダイヤちゃんが自分の決意を告げたあの日から、確かにあった。

 『もしも』なんて関係ない。どうしたいか、どうすべきか……そういうことより前に思ってた──かも分からない、凄く当たり前のこと。

──『好き』な人と離れ離れになるのが寂しい。辛い。嫌だ。もっともっと、一緒に居たかった。話したかった。

 どんなに妄想を並べたって。どんなに自分の想いを疑ってみたって。『有る』ものは消えないし──『有り』続けるんだ、いつまでも。
 たとえ気付くのが遅くても、あるものはずっと『有る』。ぐしゃぐしゃにしたって──冷たくたって、まだポケットの中に残ってる。私の想いが溢れた分が、ちゃんとある。

……けど、やっぱり今は悲しくて。

「……だ、ダイヤちゃん……っ、わ、わたし……わたしね……うっ、ぐすっ……うぅう……わたし、ほんとは…………」

 本当はただ寂しいだけなんだって、それだけのことも言えない。体が震えるのは、寒さのせいか、嗚咽のせいか──それともその両方か。泣くのをやめようとすればする程、落ち着くどころかもっと辛くなった。ぶるぶる震えて、寒くなった。
 抑えきれずに零れる涙は、音を立てずにアスファルトにぽつぽつと点を作っていて──顔の丁度真下だけ、雨が降ったみたいに、黒い染みが出来てる。

「千歌さん……貴方が何故、そんなに悲しんでいるのかも、わたくしを待っていてくれた理由も……わたくしには分からない」

「……」

 それまで黙っていたダイヤちゃんが静かに語り始める。涙で滲んでるせいでよく見えないけど、ダイヤちゃんも小さく震えてるのが、体全体の動きで分かる。寒いのか、それとも──

「だから──いつもしてた様に話しましょう? 生徒会室で」

「……あ、ぁ……」

「ゆっくりでいい、どれだけ時間がかかっても構わない。だから……貴方の思ってることを、ちゃんと言葉にして欲しいの。そうすれば──一遍の悔いなく旅立てると思うから。それに……わたくしも、貴方にどうしても伝えておきたいことがあるし……」

 その言葉と一緒にすっと立ち上がったダイヤちゃんが、未だにしゃがんだままでいる私の目の前に左手を差し出してきた。

「……今までは貴方が手を取ってくれることが多くて……わたくしはいつも受け身、待ってばかりだったけれど──ふふっ♪ 今日に限っては逆みたいね♪ 」

 弾んだ笑い声に釣られて、思わず見上げたその先には──目をうるうる潤ませながらも、とても嬉しそうな笑顔があった。


──ああ、やっぱり……私、好きだな。

 右手をそっと重ねると、手の温度が直に伝わってくる。冷たい──はずなのに、ぎゅっと握って、握られると、不思議と冷たくない。それどころか、少しずつ温かくなっていくのは……きっと錯覚でも妄想でもない。

 だって、本当の本当に温かいんだもん。体も、心も。
 その証拠に──キーンコーンカーンコーン。誰かの為でもなく、いつも通りチャイムが鳴った。普段だったら部活動が終わる合図になるチャイム。つまり、もう五時。ダイヤちゃんが居るだけであっという間に三十分以上経ってて──雲に隠れてる太陽も沈みつつあるのか、辺りは暗くなり始めてる。

 ゆっくりで、止まりそうだった時間はまた動き出して。
 温度が失われて、冷たくなっちゃいそうだった想いは、また温かさを取り戻した。


◇ ◇ ◇ ◇


「私ね、ダイヤちゃんが好きなの。負けず嫌いなところから、ほんとは優しいところまで……全部、全部大好き」

──あつい。

 ストーブが点いてるとはいえ、暖かいを通り越してこんなに暑いのはちょっとヘン──そもそも、使い物になってなかったあのストーブが、今になって急に元気になるなんて考えられないし……
 この暑さは──多分胸の熱さのせい。何十回も心の中で唱えてきた『好き』も、言葉にすると一回言うのですらドキドキしちゃう。そんなヘンな感覚──初めての感覚に自然とそわそわしてきて、何度も椅子に座り直しちゃった。その度にギコギコ、もう聞き慣れた音を立てて、ストーブのぶーんっていう低い音以外、何も聞こえてこない静かな生徒会室に響いた。でも、今はそんなのちっとも気にならない。ダイヤちゃんが何を言うか、どう答えるか──応えてくれるか、気になって仕方ない。早く、早く何か言って……

「……もう、そんなに見つめなくても、いいじゃない」

「あっ、ご、ごめんっ、つい……」

 見つめ合ってたのが照れ臭くて、お互い目を逸らす。何度となく見つめ合ってきた(気がする)私達だけど、今は数秒目を合わせるのも恥ずかしい。ダイヤちゃんもそう思ってるのか、なかなかこっちを見てくれない──最も、私も向こうを見れないんだけど……。

……急に何も話さなくなったせいで気まずい。注いでくれたのに一度も手をつけてないお茶を飲む──温っ……ダイヤちゃんも何だか微妙そうな顔してるし。

「「……はぁ」」

 ため息のタイミングまで揃って、また恥ずかしくなる。またギコギコ音を立ててる内に、こほんと咳払いをしたダイヤちゃんが、先に話し始めた。

「……ねぇ、覚えてる? わたくしがAqoursに入ることになった日のこと」

「──えっ? あー、えっと、確か……持久走? 」

 ぽつりと出た言葉は、告白とは全く関係無い思い出話だった……って、何で今? ちょっと困惑しながらも、ゆらゆらと浮かび上がってくる、あの日の記憶……。

 勝敗によってAqoursに入るか否かを決める七番勝負──三勝三敗で迎えた最後の一つが持久走だったんだけど……これがもう、ほんとに死ぬほど大変だった。というか、ダイヤちゃんは倒れてたし。
 初めは千メートルをどっちが早く走り切れるか──体育の体力テストと同じ距離を走ることになってたのが、ダイヤちゃんの提案でデスマッチに変わったんだっけ……ああ、思い出すだけで吐き気がしてくるよ……あんなに暑い日にあんなに走るなんて、普通じゃなかったと思う。その条件を受けた私も含めて。

「プライドをズタボロにされて……わたくしも意地だった……いえ、意地と言うよりやけかしら。リスクが高い戦いは避けるべきだもの。普通は」

「はは……やっぱりやけだったんだ……」

「だ、だって……あんなに負けたくないって強く思ったの、初めてだったから」

「言われてみれば……私も、『何が何でもねじ伏せてやる! 』って思ってたかも……」

「ねじ伏せる!? そんな過激な思想を抱いて走っていたの貴方!? 」

「いや、真剣勝負ってそういうものかなって、えへへ……」

 でも、それくらいの気持ちでやってなかったら……普通に負けて、ダイヤちゃんは勿論、鞠莉ちゃんの勧誘も出来なかった訳だし。

「全く……本当に死んでしまうかと思ったんだから! もし果南さんがストップをかけてくれてなかったら、今頃──なんて、考えたって仕方ないわよね」

 そんなの考えたってしょうがないよ、って言おうとしたら、そのまま続けて言われちゃった。もう、分かってるならわざわざ言わなくたって良いのに。

「そうだね。一番大事なのは、今ここにあることだもん」

「ええ。ありもしない『もしも』なんて……考えるだけ時間の無駄だって──決めつけていた」

「うんうん……うん? 」

 決めつけてた──ってことは、今はそうじゃないの? ありえないことを想像して喜んだり悲しんだり、なんて一番似合わない様なダイヤちゃんが?

「勿論、全部が全部良いとは思ってないわ。悪い想像は、それだけで自分の身をきつく縛ってしまうもの──まさしく今日の貴方みたいに」

「……そう、だね。何も言い返せないよ……」

 言葉通り、深みに嵌る感じだった。悪い方悪い方に思考が勝手に進んでくのは、少なくとも良い気持ちでは無い、間違いなく。
……どんどん寒くなってくるあの感覚は、悪い意味で記憶に刻まれてる。思い出すだけで寒気がしてくるくらいに、深く。

「ま、貴方にもそういうセンチメンタルな感受性が備わってると分かっただけでも収穫じゃない? 」

「な、何その言い方っ!? 酷くない!? 」

「ふふっ、冗談よ。誰だって、色んな一面があるから面白い──貴方に教えられたから」

「そういえば言ってたね。いつかの……そうだ、年明け前のあの日──」

 感謝してるって言われて、嬉しかった。どうしてこんなに嬉しいのか、その時はまだ分かってなかったけど……

「そうね。あの時はまだ分かってなかった──夢をどうしたいか、分かってなかったから……倒れたんでしょうね。ばたりと」

「それが……今は分かったんだよね。全部」

「…………うん。全部分かった」

「……そっか」

 だからダイヤちゃんは決めたんだよね。夢を追いかけること。こくりと頷く顔には不安は少しも無い。強い、強い意志を感じる顔。

──大好きな顔。


「千歌さん。わたくしも、貴方が好きよ」

 好き。私と同じ、ダイヤちゃんも、私のことが好き……

 好き。それだけで心臓がきゅんと跳ねて。こんなに、温かい。

「好き。それ以外、何も無くて………頭の中に、視界の中に、いつの間にか貴方が居たの」

 見つめて、見つめられて……恥ずかしいのに、目が離せない。逸らせない。
 少しでも気を抜いたら、意識が無くなるかも……どくんどくん。どんどん脈が速くなって、ストーブの音も椅子の軋む音も何も聞こえない。どくんどくん。胸の高鳴りしか、今は聞こえない。

「わたくしも貴方と一緒で……迷っていた。伝えるかどうか……この手紙を貰ってからずっとね」

「あ……そ、それ、マフラーと一緒に入れたやつ……」

 ダイヤちゃんのポケットから出てきたのは、手紙──というよりは紙切れみたいなもの。徹夜でマフラーを作った後、朦朧とした意識の中でたった一言しか書けなかった……。

「『ちょっとでもダイヤちゃんをあったかく出来たら嬉しいな』。ほんの一言だったけれど……もう、凄く、凄く嬉しくて──温かかった。どんなことよりも何より、千歌さんが好きなんだって気持ちが……気付いていなかった気持ちが、あるって分かった途端に溢れ出したの……」

「……チカも、だよ」

 コートを良いって言ってくれた時、マフラーを褒めてくれた時、手を差し出してくれた時──ううん。そうじゃない。

 ダイヤちゃんと一緒に居た時間、全部が全部温かい。冬の寒さなんて、全然気にならなくなるくらい、暖かい。どんな防寒具よりも、ずっと。

 コートより。
 ブランケットより。
 ジャージより。
 マフラーより。
 カイロより、ポケットより。

 ずっと、ずっとずっと……ダイヤちゃんとの時間は──あったかい。

──けど……


「…………ごめん、ダイヤちゃん。ごめん、なさい……分かってるのに、分かってる、のに……っ! 」


 ああ──やっぱり、遅かったなぁ……。

 一番近くに、ポケットの中に、自分の中に、あったのに……こんなにも遅くなっちゃった。

「……千歌さん、そんな、泣かないで? 泣いたって、泣いたって……もう、遅いのに……っ」

 私とダイヤちゃんとの間の距離は……やっと一番近くまで縮まったのに、ほんの少し残った隙間に、黒い染みが出来てく。

 ぽたぽた。ぽたぽた。二人分のそれは、一人で出来るそれよりも遥かに大きくて──遥かに辛さを持った黒が積もってく。

 『好き』も涙も、同じくらい大切だから──

 キーンコーンカーンコーン。
 六時。最終下校のチャイムが鳴った。

……もう、帰らないと。そう思って立ち上がろうとした時、ダイヤちゃんがうわ言の様にぽつり、漏らした。


「──雪、降ってる……? 」


◇ ◇ ◇ ◇


 夢を見てるみたい。こんな綺麗な景色、まだ内浦にあったなんて。
 外に出て辺りを見回してみると、想像もしたことない様な、真っ白な世界が広がってた。

「ダイヤちゃん……凄いね」

「ええ、凄い……」

 舞う。降り注ぐ。積もる。黒い空を──黒いモヤモヤを、きらきら輝きながら白く染めていく。

──冬にしては遅過ぎる初雪。しんしんと降るそれは、何度も見て、見慣れた景色を全然違う色に塗り替えて。

「……もし、積もったら……電車動かないかも」

「こら、そういう『もしも』は無しよ。それに、少し雪が降ったくらいで電車は止まらないわ」

「えへへ、ごめん……」

 ねぇ、もし私達、出会ってなかったら──なんて聞こうとして、ベタ過ぎるのに気付いてやめた。

 出会ってなかったらなんて……それこそ考えたって仕方ないもん。
 今ある関係が大事。ポケットの中にある『好き』が、どんなことよりも大事……

「ダイヤちゃん……どんなに離れたって、どんなに時間が経ったって、私は……ダイヤちゃんが大好きだよ♪ 」

「……ありがとう。千歌さん。わたくしも──」

「待って。一つだけ、お願いしてもいい? 」

 いつかの間違いを、今の本当にして欲しい。
 夢みたいな今日を、確かに『有り』続ける思い出にして欲しい。

「……さんとか、付けないで……チカって呼んで欲しいな」

「…………ふふっ♪ ほんと、最後まで読めない子なんだから」

「く、くだらないって思ったでしょ、今──」

「──千歌。大好きよ♪ 」

「あ……」

 涙も雪も、積もる隙間は無い程近くて。一番近く、隣同士よりも──きっとずっとあったかい……ぎゅっと抱きしめて、抱きしめられて感じる温度は本物で……夢じゃないけど、やっぱり夢みたいで。


 左ポケットのカイロはもう冷たくなってるけど──右ポケットは温かい。温かいって、手を入れて確かめなくても、もう分かる。

──ダイヤちゃんがくれたから。冬でも温かくて、絶対に冷たくならない『想い』。


 今日が終われば、夢から醒めなくちゃいけない。次はいつ、こんな夢みたいな日が訪れるか、誰も知らないけど……大好きだから、大丈夫だって信じて──

 いつか、夢の続きをまた見れる様……ゆっくり、ゆっくり帰り道を歩み始めた。



『有るポケット』 完。


『エピローグ』


 内浦の冬は、とても寒い。

 痛い程に乾いていて、冷たい空気。そこにぴゅうぴゅう音を立てて吹く海風。

 わたくしは、そんな冬が嫌いだった。寒くて、ぶるぶる震えている自分が、何だか惨めだったし──心まで、冷たくなっていく気がして、とにかく嫌だった。

 だから、とにかく防寒対策には暇が無くて。
 カーディガンやコートを着たり……たまにスカートの下にジャージを穿いてみたり、手袋をつけたり。後は、ブランケットを羽織ったり膝にかけたり、カイロを使ったりすることもある。それは自体は今も変わらない。

……寒いのは苦手だもの。普通に。

 それでも。今は冬が好き。季節の中で、一番大好きになっている。
 この寒さすら、冬が来たんだって告げてくれている様で嬉しい気持ちにさせてくれるの。

 それを教えてくれた、いつもわたくしに大事なことを気付かせてくれた人のところに、今向かって──

 あら、あれは……未だにぶかぶかなままで──でも、それがとても愛らしい……大きなコートと、その下から覗く蜜柑色のカーディガン。家の前で掃除をしている彼女は、まだわたくしに気付いてないみたい。

「久しぶりね、千歌」

「……あっ」

「ちょっと、人の顔を見ていきなり『あっ』とは何? 幽霊じゃあるまいし」

 少し伸びた髪と、相変わらずぴょこっと立った癖毛。高校生の時と比べて大人びた顔で、それでも前見た時と変わらない、くりんとした赤い瞳を更に丸くして、ぽかんとこちらを見つめてくる──わたくしの大好きな人。

「千歌、ただいま。ようやく夢への第一歩を」

「ダイヤちゃんっ」

 言おうとしてたことの半分も言わせてもらえないまま、抱きしめられて──抱きしめ返す。

「……おかえり、ダイヤちゃん」


……ああ、やっぱり大事なことはいつも、自分の近くにある。

──例えばそう、心の中

「ちょっ、えっ!? 今気付いたけど……カーディガンの袖また破けてんじゃん!? あー、せっかくこの日の為に引っ張り出してきたのに……」

「……ふふっ、あはははは♪ 」

「な、何さっ、そんなに笑って……もう、ダイヤちゃん、全然変わってないね〜♪ 」

「はぁ、それはこっちの台詞よ、全く」


 相変わらず、本当に読めない子で……本当に、大好きで……

 そんな貴方と想いを通わせたあの冬が──終わってしまっても、こうしてまた会えたんだから。


 きっといつの日か──夢の続きを見れることを、心から願っています。


──いつかまた、一緒に雪を……



『冬の終わりと、夢の続き』 終
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