酒と煙草と果南とダイヤ

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ダイヤ-アイキャッチ7


 カンカンと音を立てながら金属製の階段を登る。
 その軽快なリズムとは裏腹にバイト上がりの私の体は底なし沼に囚われたかのように重かった。
 それでもなんとか自室の前までたどり着くと、疲れ切った体で無い余力を振り絞って扉を開け、私は一つ溜め息をつく。

ダイヤ「またですか……」

 視界に靄がかかった錯覚さえ催すほど部屋中に染み付いた煙草の臭いに混じって、新鮮でとげとげしい紫煙が私の鼻腔をくすぐった。
 かび臭い空気を吐き出すだけのエアコン、黄ばんだ壁紙、畳や台所の床には煙草の焦げ跡がチラホラと。とにかく安いところをと選んだ物件、広さと立地を考えれば信じられないような値段のアパートだったが、なるほど破格の値段には相応の理由があるというもの。
 国内中が禁煙ブームとはいえ、このボロアパートで今更煙草の一つや二つ吸ったところで誰も気にしない。私はもちろん、大家だって失火でもない限り何も言ってこないでしょう。

果南「ダイヤも吸う?」

 だから、私の呆れたような口ぶりは、灰皿の前に座って暢気そうに笑うこの幼馴染への逆恨みみたいなものでしかありません。

pixiv: 酒と煙草と果南とダイヤ by あめのあいまに。

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ダイヤ「吸いません、そんな不健康なもの」

 全く、人がこんなにクタクタになって帰ってきたというのに、果南さんときたら。
 私は乱暴に彼女の横に腰を下ろすと、下げていたコンビニの袋から缶ビールを取り出した。
 タブを引くと、カシュ、という小気味良い音が静かな部屋に鳴り響き、それだけで一日の疲れの何割かは吹き飛んでいった気さえするのだから不思議なものです。

 コクコクと、缶のまま一気に煽って流し込まれた液体で喉を潤していく。
 こんな行儀の悪い姿、昔の自分が知ったら卒倒してしまうんじゃないでしょうか。
 そんなだらしない私を見て、果南さんが言い返します。

果南「そっちだって不健康じゃん」

ダイヤ「ふぅ……。酒は百薬の長と言います。煙草と違って、適度に嗜めばむしろ薬になるのです」

 私が澄ました顔でそう言うと、果南さんはケラケラと笑って。

果南「なにそれ。ダイヤは屁理屈ばっかり言ってさ」

 そう言いながら二本目に火をつける果南さん。
 それに合わせるかのように私も二本目を手にとって、煙草と缶ビールでなんとも不恰好で不健康な乾杯を、音も無く交わしました。
 それは最早私たちにとっては日常のような光景で、こんな他愛のないやり取りで、私の荒んだ心はとても落ち着くのでした。



 遅れてやってきた反抗期とでもいうのでしょうか。
 滑り止めとして受験した大学で特待生の資格を得た私は、親にも隠して密かに入学手続きを進め、卒業してすぐ逃げ出すように家を飛び出しました。
 黒澤家長女としての責務も、代々紡がれてきたけして軽くはない歴史も、周囲からの期待も、全て投げ出して。

 特待生といっても生活費までは面倒を見てくれません。
 今のアパートを見つけてからは大分楽になりましたが、それでも講義が終わればバイト三昧、空いた時間は成績を落とさないよう必死に勉強をして、落ち着く暇もありませんでした。
 気付けば私は独りぼっちでした。

 自分で選んでおいてなんですが、普通に進学して、親の仕送りを得ながらサークル活動をして、友人たちと楽しく遊んで、そんななんでもない大学生活を夢見ることもありました。
 私は後悔はしていませんでした。ただそれは後悔している余裕すらないというだけで、心は折れる寸前でした。
 そんな時、果南さんが私の目の前に現れたのです。

果南「やっ、元気してた? って聞くまでもないか」

 きっとあの頃とは変わり果ててしまった私を見て、あの頃と変わらず果南さんは私にそう笑いかけました。
 その日、泊まる場所がないという果南さんを部屋へと招いて昔話に花を咲かせたときは、久々に心から笑えた気がしました。
 次の日、飲みなれないお酒で二日酔いになった私は、初めて講義とバイトをサボりました。

 果南さんはそれからずっと帰ろうとしませんでした。いえ、それは別に構わないのですけど。
 そもそもどうしてここにいるのか。気になった私はある日意を決して尋ねました。

ダイヤ「いつから日本に? ダイビングの勉強はどうしたのですか?」

果南「まあ勉強はいつでもできるし。今はそれよりダイヤかなって」

 私の出奔に関しては、浦の星の元生徒を中心に内浦で話題になったそうで、巡りめぐって果南さんの耳にも届いたそうです。
 それを知った果南さんは、聞くが早いか押っ取り刀で日本に舞い戻り、私のことを探し回ったそうです。

ダイヤ「つくづく、自分の軽率な行いが恥ずかしくなります」

果南「まあ、それは良いんじゃない? 私だってあんま考えないで皆に迷惑かけてばっかだし。たまにはダイヤだってそういうことしたってさ」

 果南さんはそう言いますが、何者にも頼らず自分だけの力で生きてやるくらいの気概で出て行ったのに、結局皆に心配をかけるだけでは飽き足らず、こうして果南さんの将来に影響を与えてしまっていることは、なんとも迷惑な話です。
 そして、そんなこと考えるまでもないことだったのに、気付かないふりをして目を逸らして、こうして他人の口から聞かされる段になってショックを受けている、己の覚悟の無さが情けなくて仕方ありませんでした。

 ああ、でも私は本当に弱い。
 それが正しくないと頭では分かっていても、今の私は隣に果南さんがいてくれることが堪らなく嬉しかったのです。
 だから、私は積極的に果南さんを帰すようなことはせず、それ以来、私たちの同棲生活は今の今まで途切れることなく続いています。



 あれから何本空けたでしょうか。視界が揺れて、転がる缶を数えることも怪しくなってきました。
 ふらつく体を抱きかかえるようにした果南さんの手が、私の服の中へと静かに潜り込んできます。

ダイヤ「ちょっと果南さん……んっ」

 抗おうとした心と言葉は、深い口付けで一瞬にして腑抜けにされてしまいました。
 私は目を閉じて、彼女のなすがままにされます。
 部屋に響く吐息と水音が、まるで世界の果てのように退廃的な雰囲気を醸し出します。
 これもまた、今の私にとっては日常的な光景でした。

 常に淑女たれと心がけていたのに、黒澤家を出た途端この体たらく。
 優等生でいた反動? それともこちらこそが、本当の私なのでしょうか?
 どちらにしても親が見たら呆れ……いえ、きっと無関心ですわね。
 もうとっくに諦められているでしょうから。家を出たあの日から。

 私もいい加減、未練がましく昔のことを振り返るのはやめましょう。
 今はこうして、なるようにしかならないこの生活を、果南さんと過ごすしかないのですから。
 ただ、心残りがあるとしたらルビィのことです。
 私がいなくなったことで、きっと苦労をかけていることでしょう。

果南「ねえ、ダイヤ」

 思考を断ち切るように、口を離した果南が一言呟く。
 それは、私たちにとって夜を始める合図だった。
 必然か偶然か、私の思考が堂々巡りになるタイミングで、いつもそれは訪れる。

ダイヤ「電気は、消してください」

 暗闇に包まれた部屋で、果南の重みを、吐息を、熱を、匂いを、五感全てで果南だけを感じ、私の頭は真っ白になった。
 こうして何を変わらないまま、私たちの今日は終わっていく。そしてきっと、明日も明後日も。



 目を覚ますと、珍しく果南さんが先に起きていました。
 日のあるうちに起きている果南さんを見るなんて、一体いつぶりでしょうか。
 もしかして今日は雪でも降るのでは。

果南「出かけようよ。日帰りでさ」

ダイヤ「はあ……」

 日中何しているかは知りませんが、ここに来てから部屋とコンビニを往復する姿しか知らない私は、いよいよ頭が混乱して気の抜けた返事しか返せませんでした。
 そんな私を他所に手際良く身支度を済ませた果南さんは、私の手を引いて外へと連れ出します。

ダイヤ「出かけるといっても、どこにですか」

果南「んー。海かな」

 海、と聞いて私の体が一瞬強張ります。もし静岡方面だったら駄々をこねてでも拒否したいところです。
 ですが駅に着くと私たちが乗った電車は反対側。思わず安心してしまいました。
 やっぱり私は駄目ですわね。まだまだ、自分の行いと向き合えそうにありません。

 電車とバスに揺られて二時間半。そこからさらに歩いて10分程度。
 着いたのは寒風吹きすさぶ、真冬の海岸でした。
 太平洋は波が穏やかと言いますが、崖の上から見通すその海原は、湾奥の内浦と比べると流石に大分荒く見えます。
 それともここが特別なのでしょうか。

果南「いやー、やっぱり海はテンション上がるね!」

ダイヤ「正気ですか?」

 果南さんのテンションが上がっている間も、私の体温はぐんぐん下がっているのですが。
 相変わらずこの海バカは。
 私がそう言うと。

果南「むー、バカとは何さ」

 わざとらしく口を尖らして拗ねる果南さんと睨み合って数秒、私たちは堪えきれずお互い吹き出しました。

果南「あははは。いや、バカだよね。こんな時期に」

ダイヤ「本当ですわ。ふふっ、まったく意味が分かりません」

 ああ、こうしていつまでも、何もない世界でくだらないことで笑い合えたら良いのに。
 季節外れの海岸は人影も無く、寂しく吹く風に気を抜くと空の彼方まで飛ばされてしまいそうで。
 私のそんな淡い空想も、一瞬で吹き飛ばしていってしまいます。

 ふと、どこまでも広がる青空と海を眺めて、私の胸中に不安が沸きあがってきました。
 このまま今の生活を続けていて、その先は一体どうなると言うんでしょう。
 血縁地縁は頼れず、当面はやり過ごせるとしても、今立っているのは何かあれば一瞬で破綻するようなか細い道です。
 それに果南さんだって、いつまたいなくなってしまうことか。
 もし果南さんがいなくなったら、今度こそ私は耐えられないかもしれません。

 そんな絶望的な考えにふらついて足元へ目をやると、暗い水底へと繋がる崖下が視界に入りました。
 もし、このまま。
 一瞬浮かんだのは、あまりに馬鹿な考えでした。

 それが自分の意思であるはずがない。必死に言い聞かせます。
 高いビルから下を覗くとき、自然と落ちる妄想をしてしまうような、そんな反射的なものに違いありません。
 だというのに、どうして私はここまで心惹かれているのでしょうか。
 死すら二人を分かてぬように、固く抱き合って海へと沈むその姿に。

果南「ダイヤさ」

 果南さんの言葉ではっと我に返ります。
 反対側の崖下を覗く果南さんの表情は、私からは見えません。
 そのままの姿勢で、果南さんは続けます。

果南「死んじゃおっか。ここから一緒に飛び降りてさ」

 一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。
 次の瞬間、私は叫んでいました。

ダイヤ「馬鹿なこと言わないでください! 死んでどうなると言うんですか!」

 彼女なりの、面白くもない冗談だったのかもしれません。
 ただ、その口ぶりは彼女らしくもなく消え入りそうなほど繊細で。
 私は先ほどまでの考えからすると矛盾にも程がありますが、何とか彼女を繋ぎとめようと必死でした。

ダイヤ「人生、生きていればなんとかなりますわ。だから死ぬなんて軽々しく口にしないでください」

果南「うん、そうだね」

 振り向いた果南さんの顔は、飛び切りの笑顔でした。
 この幼馴染は、本当に……。

ダイヤ「全く、くだらないことばっかり言ってるとその舌引っこ抜きますわよ」

果南「ええっ、それは勘弁してよ」

 どこまでも軽いノリの果南さんに、全身から一気に力が抜けました。
 はあ、そろそろ帰りますか。
 私は慌てる果南さんを無視して踵を返します。

 果南さんが何を思って、何を考えて、なぜどうしてここへ私を連れてきてあんなことを言ったのか、私には全く分かりません。
 本気なのか、冗談なのか、天然なのか、狙っているのか。
 考えてみれば果南さんのことは分からないことばかりです。
 でもいつでも私に気づかせて、私を思い留まらせてくれるのは果南さんでした。
 だから私、もうちょっとだけ頑張ってみようと思います。

 騒ぐ海と果南さんを背に、そんな思いを胸に秘め、私は小さく一歩踏み出しました。

おしまい
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2018年5月26日
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